天下茶屋公園で歴史散策!
天下茶屋公園内に明治天皇聖躅碑(旧天下茶屋是斎屋敷碑)と明治天皇駐蹕遺址碑が建っている。これは明治元年4月20日と明治10年2月14日の住吉大社御参拝に際して明治天皇がご休憩されたことを記念するもの。天下茶屋公園には、「和中散」という胃疝・頭痛藥を扱う「是斎屋」があった跡である。寛永年間に津田宗右衛門というひとが製薬を始めたのが起こりらしい。宗右衛門は近江国梅ノ木村(今の滋賀県栗東町の六地蔵あたり)の出で、和中散は元々六地蔵で名の知られた薬であったという。一説には、徳川家康が近江に陣を貼ったおり急な腹痛に襲われ、この薬を求めて服用した所たちどころに良くなったので、和中散の名を贈ったとも言われる。近江の和中散は、江戸へ下るシーボルトが「江戸参府紀行」にも記している。天下茶屋是斎屋の様子は、今の天下茶屋公園からは伺う余地もないが、摂津名所図会に店頭の様子が残されており、その盛況ぶりを知ることができる。なお、文化13年(1816)の大阪売約番付「大坂市中売薬店数望」でも差添人と別格扱いになっている。
名前 |
是斎屋跡・明治天皇聖躅碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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天下茶屋公園内に明治天皇聖躅碑(旧天下茶屋是斎屋敷碑)と明治天皇駐蹕遺址碑が建っている。これは明治元年4月20日と明治10年2月14日の住吉大社御参拝に際して明治天皇がご休憩されたことを記念するもの。天下茶屋公園には、「和中散」という胃疝・頭痛藥を扱う「是斎屋」があった跡である。寛永年間に津田宗右衛門というひとが製薬を始めたのが起こりらしい。宗右衛門は近江国梅ノ木村(今の滋賀県栗東町の六地蔵あたり)の出で、和中散は元々六地蔵で名の知られた薬であったという。一説には、徳川家康が近江に陣を貼ったおり急な腹痛に襲われ、この薬を求めて服用した所たちどころに良くなったので、和中散の名を贈ったとも言われる。近江の和中散は、江戸へ下るシーボルトが「江戸参府紀行」にも記している。天下茶屋是斎屋の様子は、今の天下茶屋公園からは伺う余地もないが、摂津名所図会に店頭の様子が残されており、その盛況ぶりを知ることができる。なお、文化13年(1816)の大阪売約番付「大坂市中売薬店数望」でも差添人と別格扱いになっている。