美しい姫路城 乾小天守の魅力。
乾小天守の特徴
乾小天守は姫路城の北西に位置し、歴史を感じる美しい構造です。
この小天守は姫路城の小天守の中でも最大の規模を誇り、見応えがあります。
乾の方角にあり、周辺の渡櫓とのつながりが美しい景観を生み出しています。
姫路城の小天守はすべて現存遺構で乾小天守も国宝に指定されている。小天守は通常非公開であるが、特別公開されることもあり、その時は内部を見学できる。乾小天守は三重四階、地下一階で天守北西に位置する。建設時には乾櫓と呼ばれていた。秀吉が築城した三重天守との説がある。
国宝!2024年8月中旬、姫路探訪の際に行きました。といっても当時は中には入れず、写真は天守閣より撮影したものです。三つある子天守のうち、こちらは規模が最も大きく、地上4階、地下1階の構成になっています。特徴的なのは最上階の4階の窓には格子がないこと→敵侵入時に口径の大きい銃などを様々な角度に向けて撃てるため姫路城は現存しているお城の中でもダントツの凄さです。
☆天守曲輪の北西に位置、築城当時は「戌亥櫓/いぬいやぐら」の呼称。3棟の小天守で一番大きい、高さは石垣天端から14.5m、望楼型三重小天守、構造は5階建(地上4階・地下1階)とは並みの城郭なら正しく天守級🏯因みに「現存12天守」と比較❗️・彦根城…15.5m ・丸亀城…14.5m・弘前城…14.4m ・丸岡城…12.5m・備中松山城…11.0m外観の意匠性が凄い、1階に軒唐破風・2階は入母屋破風と軒唐破風の両方、3層部の南と西は菱の門と同じ様な金箔漆枠の「華頭窓」が計4ヶ所、1層と2層には格子窓多数、ホント凄いの一言😲1階だけ公開されて、真ん中に「姫路城の総構の模型」展示、この模型も良く出来てます姫路城全容一目瞭然、乾小天守の隅部にある袴腰型石落の蓋も趣あり、更に1階の格子窓は鉄格子窓👀不思議は2階との階段が乾小天守の1階には無い、どこにもない🤔どうも図面見ると「ハの渡櫓」と「ロの渡櫓」の階段で2階に登り両渡櫓から行くようです、中々複雑な構造だ、面白い😁
姫路城特別公開・ロの渡櫓東小天守と乾小天守をつなぐ渡櫓。北の長屋と呼ばれています。長さ約28.7メートル、幅5.9メートルという現存渡櫓の中で日本最大級のもので火縄銃による狙撃で撃ち手が入れ替わることが出来る広さで連続攻撃可能な櫓になります。2階部分は24連の素木(しらき)の格子窓が連なっていて、ハの渡櫓から見るとその壮観さがわかります。そして、ロの渡櫓は映画や時代劇のロケ地。つまり聖地。是非特別公開で見てほしいです。※見逃さないで…手斧削り(ちょうなはつり)の床ロの渡櫓の廊下の中央部分は、およそ400年前にロの渡櫓が造られた時の床があり、まるで魚のウロコのような模様が特徴です。戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の方々もこの上を歩いたと思うと感慨深いですね。・乾小天守創建時は、戌亥小天守と呼ばれていました。西小天守、東小天守、乾小天守とある中で、この乾小天守が最大規模を誇る小天守で、地上4階、地下1階。外観も軒唐破風、千鳥破風、火灯窓で飾られてとても優美な姿と言えます。※見逃さないで…乾小天守の最上階4階部分には格子がありません。そのため間近に大天守閣を見ることが出来る上に眼下に西の丸庭園を見ることができます。・ハの渡櫓創建時は西の長屋、未申(ひつじさる)櫓北側長屋と呼ばれていました。3階建ての渡櫓で乾小天守と西小天守を結ぶ重要な渡櫓で西小天守への入り口にあり、大天守閣を目指し、水の五門を突破した部隊の最後の砦になります。※見逃さないで…西小天守は、いよいよ今年冬から来年にかけ特別公開予定。いよいよ西小天守への扉が開きます。※本多家の替わりに藩主になる徳川一門の奥平松平家、前橋松平家、榊原家の歴史について紹介します。本多正勝の替わりに大和国(現在の奈良県)郡山から家康公の外孫の松平忠明(奥平松平家)が18万石で入封する。しかし入封直後に病気のため死亡。嫡男が幼いため出羽国(現在の秋田県〜山形県)山形藩へ転封。これ以降姫路藩は15万石の親藩、有力名門の譜代が要衝の姫路藩の藩主となります。但し藩主が幼いと転出する掟が作られます。奥平松平家の交代で親藩の前橋松平家の松平直矩(なおのり)が入封するも5歳と幼少だったため越後国(現在の新潟県)村上へ転封【※松平直矩…5歳で家督を継ぐも幼少だったため姫路から村上へ転封する。成人後再び姫路に入るものの、有力親藩の越後高田藩のお家騒動の仲裁に失敗し、領地を半分の7万石に減封され豊後国日田藩へ左遷。その後3万石を加増され出羽山形藩へ、そして5万石加増されて陸奥国(現在の青森県、宮城県、福島県)白河藩へ入る。しかし生涯で幾度も国替えを重ねたことで「引っ越し大名」の異名を付けれる。】替わりに陸奥国白河藩より、徳川四天王の一角の榊原政倫(まさみち)が入るも政倫も幼少だったため越後村上へ転封。替わりに成人となった松平直矩が入るも越後高田藩のお家騒動の仲裁に失敗し豊後国日田藩へ7万石に減封され、再び本多忠孝が入封するも12歳と幼少だったため越後村上へ転封。替わりに成人となった榊原政倫が15万石で入封します。この榊原家は本多忠勝の本多宗家と並ぶ徳川四天王榊原康政を祖にする名門で3代30年以上に渡り姫路藩15万石を領します。榊原家第8代当主榊原政岑(まさみね)は、徳川第8代将軍徳川吉宗公が出した倹約令を無視し、大手門警備を担当した時は派手で奇抜な服装で現れたり、吉原では連日遊興三昧を繰り返し、吉原の三浦屋の花魁(おいらん)高尾太夫(たかお・たゆう)を6代目、7代目共に1800両〜2500両(5.4億円〜7.5億円)で身請けし、その高尾太夫のために3000両(9億円)を超える豪華な酒宴を開き、尾張名古屋藩主徳川宗春同様に徳川吉宗公の怒りを買い強制的に隠居をさせられた上に実収入の少ない越後高田藩15万石へ懲罰的転封となる。又政岑の跡を継いだ正純が7歳の幼少だったというのも理由の一つだったとされる。そして再び前橋松平家から松平明矩の子、朝矩(とものり)が入るも11歳だったため、幼少ということで上野国(現在の群馬県)前橋藩へ転封します。※折廻り櫓では、姫路藩最後の藩主酒井家と若き家老河合道臣の功績について紹介します。※姫路城化粧櫓では、千姫様のことについて紹介をしています。
格子のない窓から見る大天守は素晴らしいの一言です!特別拝観じゃないと見られらないアングルですので、別料金かかりますがぜひ入ってみて下さい!(スタッフの方に聞きましたが、特別拝観は今回が2回目で今後はいつあるか分からないとの事です。)
姫路城の北西側(乾)にある小天守。小と言いながらも他に行けば立派な天守閣で文化財指定される建物。
キレイです。
犬井(北東)光天州は、姫路城の本拠地を北東から守っている北東の子会社です。远コンソール的乾小天守。(原文)The Inui ( North East) Kotenshu is the north east subsidiary keep guarding the main keep of Himeiji Castle from the North East.远眺的乾小天守。
「乾(いぬい)」は、北西を表す古語。大天守から見て北西に位置しています。この他にも、西小天守もあります。西側には何があったのでしょうか…
| 名前 |
乾小天守 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
079-285-1146 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
夜の姫路城です。最高のシチュエーションですね。昼間に、姫路駅側からの大手門、三の丸広場からの景色を眺めるのが大多数だと思いますが、この乾小天守側、堀からの距離も近く、天守と小天守の組み合わせが、夜景のライトアップとも相まって、漆黒に縁取られた白亜の城が、際立つ。夜の12:00過ぎに、路肩に車停め、暫し堪能。この向きからの城の顔に、出逢いに、くるりと廻ってみてね。