村木砦の歴史が息づく。
八剣神社の特徴
八剣神社の近くには歴史的な村木砦があり、訪れる価値ありです。
電車の姿を楽しめる風景が、神社の独特な魅力を引き立てます。
戦争の歴史を感じさせる首塚の伝承が、神社の周りに息づいています。
この戦いで戦死した人々の死体は山の手にまとめて埋められ、「首塚」と呼ばれてきましたが、いつしか場所がわからなくなってしまいました。そして戦いの17年後に水野信元の家臣が両軍の戦死者を弔うため八剱神社を建立しました。また、戦が終わって信長が帰り際に「村人で今川に協力したものは処刑せよ」と言い残していきましたので、何人かを処刑することになりました。好き好んで今川に協力した者はいないのにやむを得ず処刑したのです。しかし、これが原因で村人同士がいがみ合い、いつまでたっても仲良くできない状態になりました。そんな時、水野氏一族のひとりが処刑された人々の供養を始めました。400年以上たった今も毎年「観音会」という法要を行って死者を弔い、住民の安らぎを願っています。
村木砦の戦い、この付近に村木砦もあり、説明板はこちらにあります。戦死者の霊を慰めた神社。
村木砦の跡でもあります。戦国時代、鳴海城、大高城、沓掛城を手に入れた今川義元は、織田方の緒川城を攻めるべく、ここに砦を築きました。緒川城主水野信元は、織田信長の援軍を得て、村木砦を攻め、今川方は降伏しました。天文23年(1554年)1月のことです。当時、この地の東と南は海でした。村木砦の戦いののち、戦死者の鎮魂のため創設されたのが八剱社だそうです。
名前 |
八剣神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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時折、電車を見る事が出来ます。