御土居跡から歴史を感じる。
市五郎大明神神社の特徴
明治23年に御土居の上に祀られた神社です。
住宅や工場街の中に位置する神社の特徴です。
豊臣秀吉が造らせた御土居が残る貴重な場所です。
御朱印もなく、おおよそ神社らしくない神社です。お土居のクチコミが多いようですが、是非とも他の場所も辿って見て下さい。史跡や一部残存、名称の名残を含めると、かなり沢山のスポットがあります。二輪車なら簡単に1日で辿ること出来ますよ。
明治23年に御土居の上に祀られたことより、この部分の御土居の取り壊しを免れたそうです。「史跡 御土居」の石碑があります。
中京区西ノ京原町にある御土居跡に鎮座している神社が「市五郎大明神神社」になります。明治23年の創祀。碑文によれば、岡崎に住んでいた「北村利幾子」が神託を受けて御土居の上に小祠を創建し、「市五郎大明神」を祀ったとされる。境内には祭神不明の末社・お塚多数あります。うっそうとした森の中にあり若干薄暗い中で、市五郎大明神神社の飼い猫だろうか猫にニャーニャーと鳴かれたので威嚇されたのか?出迎えられたのか?何とも言えない空気のもと参拝しました。江戸時代から今日に至るまで、京都の都市化と共に次々と御土居は取り壊され、僅かに残るのみである。 昭和5年、「市五郎大明神」のある御土居堀が国指定史跡として指定された。
御土居に祀られている。京都市内の中心近くに御土居が残っているのは貴重。反対側(御土居の東側)にも祠がある。
1891年の創祀。碑文によれば、岡崎に住んでいた「北村利幾子」が神託を受けて御土居の上に小祠を創建し、「市五郎大明神」を祀ったとされる。1591年、豊臣秀吉が京都を護る防塁・堤防として都の周囲に築いた土塁と堀が御土居である。その内側を洛中、外側を洛外と称した。江戸時代から今日に至るまで、京都の都市化と共に次々と取り壊され、現在では僅かに残るのみである。1924年、市立第一商業学校の移転の際に、御土居の土取が行われたが、神社付近に及んだ時に事故が相次いだ。そのため「祟り」を恐れて工事を中止し、神社のある御土居だけが残されたという話が残る。1930年、「市五郎大明神」のある御土居が国指定史跡として指定された。
住宅や工場街の中にある。 入り口が小さく 見逃してしまいやすい。赤い鳥居がずらりと並び 境内が史跡になっている。
西大路御池駅のそばの西大路通り「コナミスポーツクラブ」の東裏側。京福電鉄三条駅の方からも近い。秀吉の「お土居」が少し残る。小さなお宮有ります。民家?も有りました。
秀吉が造らせた御土居が残る。御土居の案内板はあるが市五郎大明神の由緒書きはない。どうやらお稲荷さんではなく、狸をお祀りしているらしい。
御土居が残っているものの史蹟としての整備はイマイチだったなー。
名前 |
市五郎大明神神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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御土居がこんなところに残されているなんて、京都やはり恐るべし!