三代目戸田橋で歴史を感じて。
三代目戸田橋の親柱の特徴
左手の親柱の裏面にある銅板が歴史を紐解く鍵です。
現在の戸田橋は4代目で歴史を感じられる場所です。
親柱を訪れることで戸田市の歴史を深く学べます。
自分が子供の頃は三代目戸田橋が現役で、何回も利用しました。この親柱の記憶も朧気に残っています。重厚で吊り橋のような構造美の橋は、子供ながら立派な橋だと感じていました。交通量の増大で止む無く四代目へ移行されたものと思いますが、現存していれば、東京の隅田川にかかる橋のように名橋となっていたでしょう。この親柱を残し、公開していただけることで、当時を懐かしく振り返ることが出来ます。維持管理をされる方々に感謝します。ここはJR戸田公園駅から徒歩10分程で訪れることが出来ます。この場所の向かい側にある水門前も、釣りでよく訪れました。今は立ち入り禁止なのですね。
【「埼玉県」銘板に残る3発の銃弾後は必見!】戸田市の歴史をあゆみを見守ってきた親柱。
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三代目戸田橋の親柱三代目戸田橋は、現在の四代目戸田橋の東側に架けられており、完成した昭和七年当時は、日本一斬新で美しい橋として話題を呼びました。三代目戸田橋の埼玉県側と東京都側の入口部には、「戸田橋の顔」として、それぞれ一対の親柱が設置されていました。親柱の石材には、岡山県北木島産の良質な花崗岩が使用されています。また、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、昭和初期の著名な橋梁設計者であった増田淳氏による意匠的に凝ったデザインが戸田橋を渡る人々の目を惹きつけていました。現在は欠損していますが、柱の四面には鋳造青銅製の電燈が、柱の中間部と上部には正方形を連続させた装飾などが配されていました。現在は親柱の東京都側が板橋区小豆沢公園に、埼玉県側がここ戸田橋親水公園にそれぞれ移設されています。戸田市は、古来から荒川の河川交通とともに発展してきました。第二次世界大戦後間もない頃に在留米兵によってつけられたとされる「埼玉縣」銘板の3つの銃弾の痕や、昭和三十九年東京オリンピックの聖火ランナーと写る写真からも、三代目戸田橋の親柱が戸田市の歴史のあゆみをいつも近くで見守ってきたことがわかります。平成二十七年三月戸田市教育委員会。
左手の親柱の裏面に銅板あり。併設された欄干には「昭和四年四月起工」とある。また、公園の地面にはタイル材で初代、二代目、三代目、四代目の橋の絵図が描かれている。なお、これと同種のものが小豆沢公園の入り口にあった。
立て札の古い写真を見る限りにおいては、柱というよりも飾りみたいなものだったのかもしれませんね。その当時の橋を知っている人には懐かしいんでしょうけど、知らない人には「?」なのかな。
現在の戸田橋は4代目です。3代目は現在の橋の東側にかけられていました。かけられた当時の戸田橋は日本で最も美しいと評されたそうです。新しい橋がかかっても支柱が残ることによって歴史を伝える役割を果たし続けてくれています。
歴史がわかっていいですね。ぜひ皆さん見に行きましょう。
【戸田市指定有形文化財】三代目戸田橋は大正12年の関東大震災後、東京の北の玄関口として昭和7年(1932)完成しました。長さ528.6m、幅11m。 当時の橋梁技術の粋を集めた近代的なトラス構造の鉄橋で、完成当時は「日本一斬新で美しい橋」として話題になったそうです。ちなみに東京都側の親柱は板橋区の小豆沢公園内に保存されています。
| 名前 |
三代目戸田橋の親柱 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒335-0015 埼玉県戸田市川岸3丁目5−19 戸田橋親水公園 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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親水公園のシンボル的な存在だと感じます。