ひっそりと蘇る悲しい歴史。
御殿岬戊辰戦役跡の特徴
鳥羽伏見の戦いに関わる歴史的な史跡です、訪れると深い感慨があります。
ひっそりとした場所に、旧幕府軍の歴史を伝える貴重な遺産があります。
仙台湾の警備に従事した松山隊の足跡を感じられる重要なスポットです。
こんなのがあったとは知らなかった、なるほどそう言う訳かぁ~~~~~(m- -)m
こんなところに、ひっそりと悲しい歴史の史跡があるんですね 勉強になります あまりにも?めただず、毎日気付きませんでした。
名前 |
御殿岬戊辰戦役跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.shinchi-town.jp/soshiki/3/shiseki-gotenmisaki.html |
評価 |
3.2 |
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当時の仙台藩松山隊は鳥羽伏見の戦いで敗走した旧幕府軍のため、仙台湾の警備にあたっており艦船を監視していた。奥羽越列藩同盟が劣勢になると相馬中村藩が降伏し新政府側となったため、仙台藩は領内への侵入を食い止めるために新政府軍を迎え撃つことになり、松山隊は相馬口へ出兵することとなった。仙台藩は今泉の新政府軍にむけ攻撃を開始。浜手の松山隊は積極的に前進し、仙台藩が有利に戦えていたが、装備は旧式の火縄銃であり、雨のため火縄や火薬がしけって使えなくなった。しかし新政府軍の装備は最新式の銃だったため形勢逆転し、さらに援軍が来たことにより今泉の攻略を断念し退却を始めたことで追撃された。松山隊は孤立無援となり最終的に御殿岬に追い詰められ、力尽いた松山隊士は御殿岬の崖から身を投げ溺死するなど27名が戦死した。この碑は松山隊の勇戦をたたえ冥福を祈るものとして建てられた。