ビール井戸の特徴
横浜市立北方小学校内にある、歴史的なビール井戸跡です。
明治2年に設立されたビール醸造所の遺構で、煉瓦造りが美しいです。
井戸の説明プレートがあり、ビール造りの歴史を学ぶことができます。
小学校の敷地内にある井戸を柵で囲い、歩道から見学できるようになっています。学校の敷地にあったビール工場で取水していた井戸だそうですが、実際にこの井戸から水を引いていたのは数年で、敷地一体に湧き水が出ていたそうです。日本のビール発祥の地にちなんだ遺跡が残されているのは興味深いです。元町・中華街駅からバスに乗車して、北方小学校前で下車するとすぐです。
北方小学校にいたときは、この井戸のことにあまり関心を持ちませんでした。
横浜市立北方小学校の敷地内にある。これも、日本の歴史の足跡の一つ。
ビール醸造所で使用されていた井戸で、北方小学校の道路際の一角に残されており、道路から見学できます。このような地域の歴史に関係する史跡が保存されているのは、うれしいです。
山手居留地でビール醸造所がつくられたのは明治2(1869)年でした。キリン園公園がある場所は良質な水の湧き出る場所で、「日本ビール産業の祖」と称されるウィリアム・コープランドがビール工場を設立した場所だそうです。その後、麒麟麦酒株式会社(現在のキリン株式会社)がコープランドの工場を引き継ぎ、現在に至ります。キリン園公園には「麒麟麦酒開源記念碑」が立っています。隣接する横浜市立北方小学校の校庭は醸造のための水を汲んだ「ビール井戸」が今も校庭に残ります。
北方小学校を目指して歩いていくと、敷地内にビール井戸跡を発見近づいてみると趣溢れる煉瓦造りの井戸があり、その横には井戸の説明のプレートもありました。「いま校庭になっているところには湧水のわき出る池があった」という説明もあり、当時この辺は、綺麗な水が溢れていてそのためにビール工場が出来たそうです。
横浜市立北方小学校の校庭にあるビールづくりに使われていた井戸跡。北方小学校周辺は日本のビール発祥の地とされ、この井戸は明治28年(1895年)年から7年間ほどビールつくりに使われていたそうです。
イギリス人が作ったビール工場跡(のちキリンビールが買い取ったらしい)の近くに住んでいますが、家の近所にこんなものがあったなんて知りませんでした。
キリンビールの基になった工場、今はキリン公園になってますが、そこで使った水をこの井戸から得ていたそうです。
名前 |
ビール井戸 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-622-2166 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

正直、井戸自体にこれといった感想はない。何かしらの特徴などは無いからである。となると説明板に期待するしかないのだが、かなり読みにくい。故に高評価には出来ず。