結城城跡で桜吹雪散歩。
結城城跡の特徴
結城合戦の舞台である静かな城跡公園が特徴です。
桜と梅の名所として、訪れる人々を魅了します。
小山政光の四男が築城した歴史ある結城城跡です。
桜を見に行きました。コロナ前はここで桜まつりやっていたと記憶しています。平日の昼間に久しぶりに訪問。何人か散歩している方とすれ違った程度で人はいませんでした。おかげでゆっくりと桜を見ることが出来ました。
2025/4/11葉桜多めでしたが、ウグイスの鳴き声をききながら、桜吹雪の中ゆったりと散策しました。桜の絨毯も綺麗ですね。駐車場は広く停めやすいです。駐車場からの階段に、あじさい坂と案内がありましたので楽しみですね。
結城城は鎌倉時代に小山政光の子・結城朝光によって築かれ、室町時代には「結城合戦」の舞台となりました。戦国時代には結城晴朝が家康の次男・秀康を養子に迎え、秀康の越前移封で一時廃城に。江戸時代には水野勝長が入封し、結城藩の藩庁となりました。戊辰戦争では佐幕派が占拠し新政府軍に攻められたため建物の多くが焼失。現在は公園として整備され、空堀や水堀跡が一部残ります。
3月初旬に訪問草木は映えてないけど、空気が綺麗でした。結城百選ってのがありました百選以上あるんですがw気になって調べちゃいました。句碑もあるとのこと。埋蔵金も探し行くかw中世の城郭跡として平城で,曲輪・空堀・虎口などがある。春には,梅や桜が咲き乱れ,四季の移りとともにアジサイ・ツツジ・ハギも見ることができる。園内には与謝蕪村の句碑のほか,埋蔵金伝説の三日月橋がある。一応市の説明を下に1.結城市の観光振興策の一環として,市内の名所・旧跡等で優れた景観・風情を有する場所を「結城百選」として選定し,郷土の良さを再確認し,郷土愛を育むとともに,これを後世に伝えるものとする。2.選定した「結城百選」については,市・内外にPRするとともに,新たな観光資源(新名所)として活用することを目的とする。3.選定対象とする名所は,神社仏閣,史跡・文化財,自然景観・都市景観や,生活空間とする。
結城城で行われた大規模な戦。結城合戦。この戦いに参加し、破れた里見義実は房総半島の安房へ逃れ、そこで一旗揚げて有名な南総(安房)里見氏になります。
東結城駅から行くと北側から入れます。有名な結城合戦の絵図は恐らくこちら側から見たものじゃないかな。結城駅側からだとイメージが難しいですが、田園地帯が続く北側だと、田川が天然の外壕になっており、小高くなった場所に城があったのだろうなどと当時の想像が捗って楽しかった。徒歩だと二十分強かかったし、周りは本当に田畑だけですが(途中に伝統工芸館あり)結城合戦のイメージを求めていくならこっちのルートお勧め。
結城城の城跡公園に行って来ました。城跡が、芝生の広場になっています。桜の木が、たくさん植えてあるので、花見を楽しめます。4月下旬に行ったので、桜の花が散って、綺麗な花びらの絨毯ができていました。公園の周りは土塁になっていて、自然な空堀に囲まれています。広場の一画には、神社が鎮座しています。トイレやベンチ、子どもの遊具もあるので、散歩や休憩に利用できます。広い駐車場もあります。
結城城の城跡公園に行って来ました。城跡が、芝生の広場になっています。桜の木が、たくさん植えてあるので、花見を楽しめます。4月下旬に行ったので、桜の花が散って、綺麗な花びらの絨毯ができていました。公園の周りは土塁になっていて、自然な空堀に囲まれています。広場の一画には、神社が鎮座しています。トイレやベンチ、子どもの遊具もあるので、散歩や休憩に利用できます。広い駐車場もあります。
ゆうき城。頼朝の御家人結城朝光が地頭職となり結城氏を称して居館。戦国期、家康の子、秀吉養子の結城秀康が城主となるが越前福井に転封。その後廃城、1700年水野勝長が入封、幕末期、官軍攻撃で落城、破却された。(以上日本城郭大系、現地説明板参考)今は公園となり当日も小学生が遊んで楽しそう。本丸北側に広い駐車場で結城城を見渡すことができます。本丸南側すぐそばに城説明板、駐車場、空堀(説明板)などあります。若くして亡くなりすうきの運命であった結城秀康氏の城を見れてよかった。
| 名前 |
結城城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0296-34-0421 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
茨城県結城市にある『結城城』に行ってきました。結城城の廃城後、家康の命により、結城城の御殿・隅櫓・御台所・太鼓櫓・築地三筋塀・下馬札、さらに結城城下の華厳寺にあった鐘は、現在の埼玉県鴻巣市の勝願寺に移築されました。また、大手門は寛文年間(1660年頃)弘経寺に移築されました。結城城の地形は、北西から南東にかけて長く長方形で、標高40m位の独立した丘陵が利用され、長いところで南西面約660m、北西面約300mあります。堀は周囲を人工の水堀と深田で囲んでいます。戦闘時には台地北東部の崖下の深田へ北を流れる田川から水を引き入れ外堀として機能させる構造となっています。西および南には田川の支流等を利用した堀が設けられ、台地との間を遮断しています。城域内部は、実城(消滅)・西舘・中館・中館・東館の大きく4つに区分され、それぞれの曲輪は3本の空堀で分割されています。