結城城跡で桜散歩、歴史を感じる。
結城城跡の特徴
結城合戦の舞台である静かな城跡公園が特徴です。
桜と梅の名所として、訪れる人々を魅了します。
小山政光の四男が築城した歴史ある結城城跡です。
東結城駅から行くと北側から入れます。有名な結城合戦の絵図は恐らくこちら側から見たものじゃないかな。結城駅側からだとイメージが難しいですが、田園地帯が続く北側だと、田川が天然の外壕になっており、小高くなった場所に城があったのだろうなどと当時の想像が捗って楽しかった。徒歩だと二十分強かかったし、周りは本当に田畑だけですが(途中に伝統工芸館あり)結城合戦のイメージを求めていくならこっちのルートお勧め。
結城城の城跡公園に行って来ました。城跡が、芝生の広場になっています。桜の木が、たくさん植えてあるので、花見を楽しめます。4月下旬に行ったので、桜の花が散って、綺麗な花びらの絨毯ができていました。公園の周りは土塁になっていて、自然な空堀に囲まれています。広場の一画には、神社が鎮座しています。トイレやベンチ、子どもの遊具もあるので、散歩や休憩に利用できます。広い駐車場もあります。
ゆうき城。頼朝の御家人結城朝光が地頭職となり結城氏を称して居館。戦国期、家康の子、秀吉養子の結城秀康が城主となるが越前福井に転封。その後廃城、1700年水野勝長が入封、幕末期、官軍攻撃で落城、破却された。(以上日本城郭大系、現地説明板参考)今は公園となり当日も小学生が遊んで楽しそう。本丸北側に広い駐車場で結城城を見渡すことができます。本丸南側すぐそばに城説明板、駐車場、空堀(説明板)などあります。若くして亡くなりすうきの運命であった結城秀康氏の城を見れてよかった。
結城城は二度目の訪問になる。城の西方(結城小学校の方)から「西館」跡を車で登って行き、空堀を右にみて土橋跡を渡り「館」(結城水野氏時代の本丸、現在城跡公園がある)へ入る。そのまま道路を道なりに進み、突き当たったところに砂利の公園駐車場(表示はないが・・・)あるので、そこに車を停めた。結城城跡は、分かりそうで、なかなか城跡としてイメージするのが難しい城跡である。現地の案内看板によると、結城城は5つの大きな曲輪から成るとある。「実城[みじょう]」「館[たて]」「中城」「西舘」「東舘」である。縄張りの詳細は写真をご覧頂きたい。尚、「館」の北にあった「実城」は室町時代の結城氏の主郭とのことであるが、現在は消滅しているとのことである。私は、館→中城→東舘→西舘と廻ったが、城跡公園以外は殆どが宅地となっていて、城跡としての見どころは、館と中城・西舘の間の空堀程度である。館と西舘の間の空堀は整備されていて良く見学できたが、それ以外は薮であった。また、城跡公園内には聰敏[そうびん]神社、水野家顕彰碑があり、水野家との関りが分かり、結城城に対する見識を更に深められるので見学をお奨めする。さて、結城城は何と言っても、結城合戦の舞台ということで有名である。永享十二(1440)年、結城氏朝・持朝父子他反幕府方が、鎌倉公方足利持氏の遺児春王丸・安王丸を奉じて、室町幕府将軍足利義教[よしのり]に反旗を翻し、ここ結城城に籠城し、1年近くに及ぶ激戦となった処である。結果、氏朝・持朝父子は討死し結城氏は一時没落するが、信濃佐久郡の豪族大井持光に匿われていた持氏のもう一人の遺児万寿王丸(永寿王丸)が、文安四(1447)年に関東諸将の要請を受けて足利成氏[しげうじ]として鎌倉公方を再興すると、佐竹氏の庇護を受けていた氏朝の四男成朝[しげとも]が旧領結城城に入り、結城氏も再興された。結城成朝から4代後の晴朝[はるとも]は、天正十八(1590)年秀吉の小田原征伐で豊臣方に付き所領を安堵され、その後、秀吉の養子となっていた家康の二男秀康を養子として受け入れた。結城秀康は関ケ原後の慶長六(1601)年に越前に移封となり、結城城は一時廃城となったが、元禄十三(1700)年水野勝長が結城へ移封となり、翌々年結城城は再築城された。《2023.10.21訪問》
始めて行きましたが、桜に圧巻されました。地元の人が花見をしてましたが、なかなか地元以外の人は、来ないような気がするので穴場かも。駐車場も、奥の竹藪あたりと手前と停めれるので、車で来るのがベスト。ホトトギスの声も聞こえました。
小山政光の四男、朝光が築城し結城氏を名乗るようになりました。その後、歴代結城氏の居城となり結城合戦の舞台ともなりました。晴朝の養子である秀康(徳川家康の次男)が関ヶ原合戦の後に越前に移封されると結城城は廃れていった。現在、本丸跡は城跡公園として整備されている。本丸西側には巨大な内堀を確認できます。往時はさらに深く広かったのでしょう。公園南側にも竹藪で分かりづらいが、深い内堀があります。さらに南側に移動すると水辺公園や水堀があり、外堀跡だと思われます。本丸こそ綺麗に整備され過ぎていて、城跡と分かりづらいが、周辺各所にしっかりと遺構が残っています。秀康が越前に移封された後に御殿や櫓が鴻巣にある勝願寺に移築されたようです。現在、勝願寺にある建築物は明治に再建されたものなので往時のものは残っていませんが、機会があれば是非訪れたいと思ってます。城跡公園北側に駐車場あり。公園はとても綺麗に手入れされていて周辺住民の憩いの場のようになっています。素敵な公園だと思います。
永享の乱より小田原征伐まで多くの歴史を持つ結城氏のお城後です。徳川家康公の次男、秀康が結城氏の養子に入ります。関ヶ原の戦い以降、越前への加増移封により結城城は廃城。以降、水野家が明治まで入ったが戊辰戦争により攻撃を受ける。城跡公園となり、貴重な遊具が設置されています。城南部には堀が確認出来ました。城の周りを小一時間程散策しましたが、色々妄想しながら歩くのもまたロマンがあるのではないでしょうか。
カーナビで場所を特定できなかったので結城小学校をめざし、あとは案内板を頼りにして公園の北側にある駐車場に着きました。平日でもあり自分しかいませんでした。公園自体はよく手入れされていました。
公園自体は東北の外れでぱっと見、遺構は見当たりません。が、公園を出て西に行くと土橋と堀、案内板があります。公園から南へ行くと50mくらい、100mくらいの所に堀があります。また、東側には城塁と見られる箇所もあり、城のあった台地から離れると、城の縄張りが伺えます。
名前 |
結城城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0296-34-0421 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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結城城で行われた大規模な戦。結城合戦。この戦いに参加し、破れた里見義実は房総半島の安房へ逃れ、そこで一旗揚げて有名な南総(安房)里見氏になります。