歴史感じる相模国の古社。
寒田神社の特徴
延喜式神名帳に記載された歴史ある神社で、古社の風格があります。
新松田駅や松田駅から近く、アクセスが便利な立地にあります。
ご祭神に倭健命や弟橘比売命を祀り、由緒ある神事を行った由来があります。
相模国の式内社。足上郡唯一の式内社です。境内はさほど広くはないけどカシの木などの巨木に覆われ気持ちの良い雰囲気。岩山に乗った親子の狛犬が可愛い。現在コロナ禍に配慮して御朱印は休止されていますので御朱印目的の参拝は控えてください。
新松田駅から徒歩7分程度で酒匂川堰堤近く。いくつかの神社案内を読みましたが、927年の『延喜式神名帳』に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社とのことです。
今は御朱印は休止中でいただけませんでしたが、お参りをして帰りました。駐車場に行く道が狭いので大きな車は注意です。木々が多くて気持ちよかったです。
考察ヲシロワケ天皇の息子ヤマトタケ様(コウス様)には、兄のヲウス様がいましたが、こちらは身体が弱かったので、西の平定に成功されて、都に戻ると東征にもヤマトタケ様が出陣されました。東征には、ムラクモツルキを持参されませんでした。ヤマトタケ様の本名は、ハナヒコ様と言います。ソサノヲ様の本名は、ハナキネ様と言います。ヤマトタケ様は、自分がソサノヲ様の生まれ変わりと思うようになっていました。平定の途中に神奈川足柄に立ち寄り、ここ寒田神社にソサノヲ様を祭りました。今の由緒の祭神には、表には出されていませんが。ヤマトタケ様が平定されて都に戻る途中の山、伊吹山(祭神ツキヨミ様の息子イヘキドヌシ様)の怒りを買いました。祖母の倭姫様から、授かっていた大事なムラクモツルキを置いてくるなんて。ヤマトタケ様は、この山で命に関わる大怪我をされました。そして、能褒野にて命を落とすことになりました。ヤマトタケ様の妻の一人であるミヤズヒメ様は、夫ヤマトタケ様の御心にて熱田神宮を建てムラクモツルキを草薙剣として祀りました。By ロックベル。
旅行の神様。立ち姿の狛犬の周りには子供?が居て、とても珍しいですね。静かな神社でした。駐車場の入口は分かりにくいです。
周りの木がとても大きく自分が小さい印象を受けました。とても気持ちのいい神社です。御朱印はコロナの影響でやっていません。
御朱印を集めて関東、東海地方の神社や寺院を参拝してます。気に入った(相性の良さそうな)場所はそこで御朱印帳もいただいて、月参りをするのを楽しみとしています。こちらは御朱印も月に二回変わるそうで、御朱印帳のデザインも好み、拝殿で手を合わせた時も爽やかな風が吹いてくる、とご縁を感じて御朱印帳もいただきました。これから毎月お伺いするのが楽しみです。直書きとか書置きとかはこだわらないタイプです。今日で二度目の参拝ですが、いずれも気持ちよくご対応して頂きました。毎回、社務所で他の参拝の方とも会いますので、人気がある神社のようです。自分は相性中心なので、その点はあまり気にならない部分ですが、多くの人から信仰を集める清々しい神社です。
小田急線の新松田駅と御殿場線の松田駅の近くにある。寒田神社の創建は、仁徳天皇三年(315)ととても古く、歴史と格式を備えた由緒ある神社です。珍しものだと歯の供養碑が建立されている。説明文書には下記が記されている。本碑の起源は昭和参拾年ときの会長田村良三氏の発案により全国に先がけて我々歯科医師の日常抜去した歯牙を祀り世の人の健康を希い生きとし生けるもの全ての生命安らかにして幸いならんと祈り当時寒田神社宮司薮田喜作氏の指導により全会員が抜去歯牙を持ち寄り毎年秋の彼岸に供養を始めた事に由来するものである爾来歯の供養祭として会員の心の寄りところとなってきたが会長の提唱により本行事を永く後世に残さんと宮司薮田義文氏の理解ある。協力によって歯の供養碑をここに建立する。
仁徳天皇の時代の創建で相模国の延喜式内社十三社の内の一社。半月ごとに季節に基づいた御朱印のデザインが変わります。
名前 |
寒田神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0465-82-1931 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

式内社相模国十三座のうちの一座。古代の官道である矢倉沢往還沿いに鎮座します。倭健命あるところに腰掛石あり。