六地蔵と古き歴史の響き。
正福寺跡の特徴
文政10年に建立された歴史ある正福寺跡の魅力。
明治元年の廃仏毀釈による貴重な歴史的背景を感じる場所。
六地蔵が点在する静けさを楽しむ穴場の寺院。
スポンサードリンク
六地蔵が歴史を感じました。正福寺は六崎組十善講の第六十番の札所だったようです。
名前 |
正福寺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.7 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
文政10(1827)年にここ長岡村に建立された正福寺、明治維新の動乱の中で明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した思想政策によって惹き起こされた『廃仏毀釈』で廃寺となりました。正福寺は不動明王を御本尊とする真言宗の寺院で、山号を菩提山、院号を弘覚院と号する金剛寺(物井地区字御山)の末寺、香取神社(四街道市長岡)の別当寺、文政9(1826)年に六崎村・應神山鏡宝寺の住僧が八十八ヵ所の写しを設定して開設した『六崎組十善講八十八ヶ所霊場』の第60番札所に指定されます。長岡の石塔群と六崎組十善講60番と道祖神のセットで参詣しました。