太平洋を旅した鐘の物語。
汎太平洋の鐘の特徴
数奇な運命を持つ鐘があり、歴史を感じさせます。
太平洋を旅してきた鐘のストーリーがあります。
訪れることで特別な経験が得られる場所です。
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太平洋を旅してきた鐘なのですね。
名前 |
汎太平洋の鐘 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
5.0 |
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数奇な運命を辿ってきた鐘です。元禄3年(1690年)粉河丹後守の鋳造により当寺に奉納されたのち、鋳造後247年目の昭和12年(1937年)にしてサイパン島の南洋寺に転出するも、昭和19年(1944年)にサイパン島の軍民の玉砕により、消息不明になったそうです。その後、21年の時を経て昭和40年(1965年)米国テキサス州オデッサ市において発見され、昭和49年(1974年)にお寺に帰ってきたそうです。江戸時代鋳造の文化財をサイパン島にわざわざ出さなくてもいいのに…と思う反面、日本本土に残しても金属供出や空襲でどうなったか分からないので、サイパンにおいてこの鐘を保護してくれたアメリカ人には感謝したいところです。Yahooコメントをはじめインターネットなどで空襲をしたアメリカ人はやはり日本人を人間だと思っていなかったとか、だからこそ玉砕は正しかったと言われる方がいらっしゃるのですが、『菊と刀』で曲がりなりにも日本文化について研究し、交戦国の異文化・異教徒の遺品に対して破壊せずに保存していたアメリカ人の懐の深さは特筆に値します。こんにち戦争について護憲・改憲の二元論で語られ、改憲の気風が日に日に高まっていますが、改憲を訴える方はヒステリックにわが国周辺国の人権侵害や国権侵害を訴えるだけで、冷静に分析をしようとはしている方は僅かです。仮にやむを得ず憲法の改正や自衛であれ戦争になったとしても玉砕や自決などの悲劇を繰り返さずに、敵国でも良心を信じダメな時は降伏し、命、ひいては民族や文化を繋いで行く事の大切さを感じさせられました。しかし、鐘を発見した後に当寺の持ち物だと鑑定できたのはすごい努力だと思います。