徳川家康も愛した名刹。
最福寺の特徴
勾配のある立地に本堂があり、本堂の見応えは抜群です。
徳川家康公が訪れた由緒正しい古刹として知られています。
八鶴湖近くの桜の名所で、散策に最適な場所です。
立派な本堂で見応えあります。手入れも行き届いてます。3月23日訪問でしたが、枝垂れ桜が見頃でした。
お参りした日:令和4年8月20日駐車場:あります。私は、隣の公園の駐車場に停めました御朱印:あります。大黒殿にて書置きでお代は、賽銭箱に入れます。初めてお参りしましたが、広くて景色もすばらしいです。家康さんとの繋がりの説明版があります。桜の季節は、ほんと素晴らしいと思います。客殿から本堂への階段の渡り廊下も趣きがあります。本堂には、スロープがありますので車いすでも可能と思います。本堂前までは、急な坂道で上がれます。
階段を上がりきった所の枝垂れ桜が見事です。大黒殿があり、大黒様がいます御朱印は、300円。
寺伝によれば大同24年(807) 僧最澄の創建と伝えられ、天台宗でしたが、文明11年 (1479) 日近上人の時顕本法華宗に改宗、西福寺と改め、昭和22年再び最福寺と改めた。酒井定隆の檀那寺で、その守護神が日吉神社であったため、社務一切は本寺で司どった。天正19年 (1591) には徳川家康から寺領30石を寄せられ、上十ヶ寺の一つであ る。本堂は宝永5年 (1708) 改修されたもので、内陣は荘厳華麗で、数多くの貴重な宝物を有している。【現地案内板より抜粋】・絹本著色天台大師像 (県指定有形文化財 絵画 )・鰐口(市指定有形文化財・工芸品)・多羅葉(市指定記念物・天然記念物)・釈尊入滅涅槃図 (市指定有形文化財絵画)・大黒天像 (市指定有形文化財・彫刻)などの文化財を所有している。広大な敷地内には、数多くの見どころがあり、上から見下ろす八鶴湖も絶景。
徳川家康公も訪れたとされている名刹ですね。手入れされている建物や境内ですが。先日の台風被害を受けたらしいですね。
この辺りで5カ国語対応の御籤は聞いた事がありません。留学生とかが来るんですかね。令和4年の豆撒きは中止とありました。
北総代表する古刹。かつて家康が鷹狩の雨宿りのおりに住職(日善上人)に出会い「なんか話し合うわ~!友だちなろう」みたいな関係から始まり豊臣との決戦の相談相手に。家康は上人を呼び「実は決戦は気が重い」と吐露。しかし上人に「何言うてますの、滅ぼすなら今でしょ!」と背中を押されて大坂冬の陣が決行された、ようだ。(相当要約したが)豊臣方にしてみればトンデモ和尚ですな(笑)。しかしそのおかげか否か、山野にして立派な境内で荘厳でパワースポットを感じる。草木趣味よく、可愛らしい和傘や住職の和歌が添えられており和む。望む湖の景色もよい。2023年大河ドラマ「どうする家康」でも使われて欲しい話。
八鶴湖の側にある古刹です。今から407年前の1614年徳川家康と最福寺の住職日善上人は駿府城で豊臣方に関する密談を行いました😺豊臣を攻めることに戸惑う家康に日善上人は天下泰平のため民とこの国の将来のために豊臣に攻めることを諭したそう。意を決した徳川家康は数日後に諸大名に命じて大阪冬の陣を決行しました。戦に敗れた豊臣は秀頼と淀君が自害血脈が途絶えて歴史の表舞台から姿を消します😺最福寺の住職 日善上人は家康と共に歴史を動かしたキーマンなのですね😺
徳川家康にまつわる由緒正しいお寺ですが、運慶作と伝わる大黒天の木像があります。悠久の歴史を感じさせてくれます。ここでも本年の東金市議会議員選挙や、その後の子供未来党の選挙がうまくいく様に絵馬を奉納して来ました。ここ東金の地に歴史の1ページを刻みます。
名前 |
最福寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0475-52-2321 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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敷地規模からすると、少しこじんまりしていますが、勾配のある立地のため、予想以上の多くのお墓があり、本堂はその先にあります。周辺の自然の被害に遭いながらも、自然景色と調和する本堂の姿は、規模からは似つかわしくない厳かさを感じさせます。