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名前 |
新田神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
新田神社は細川清氏を弔う為に建てられた社と思われます。細川清氏は阿波(徳島県)出身、足利氏(北朝)に従い相模守に任じられていました。かねてより不仲の佐々木道誉に謀反の疑いがあると讒言された。清氏は無実を訴えるが許されず阿波に帰り南朝方(後醍醐天皇)へついた。清氏は四国で兵を集め完治元年(1361年)三木郡白山へ来て挙兵しました。この時、三木、山田、寒川郡等の周辺の豪族が集まり、その兵力五千余騎と成り大いに士気が上がった(特に植田、三谷、十川の三兄弟が揃って味方したことは有名です。)清氏は白山を出て白峰の高屋城に入り北朝の細川頼之と対戦しました。清氏の方が武力に優れ軍勢も多かったが知力に勝る頼之の陽動作戦にかかり、あえなく戦死しました。清氏の遺骸は宝蔵院極楽寺の住職が引き取り白山西麓に葬りました。現在この地に小さな五輪塔が立っており、これを清氏の墓として土地の人々は「新田さん」と呼んで毎年八月二十六日にお祭りをしています。こちらの文章は新田神社にある細川清氏の説明板を引用いたしました。