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名前 |
津田古墳群 赤山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
1.5 |
相地峠を下って平地にさしかかるころ、道路の東側に、民家にとりかこまれたようにしてこの古墳はあります。本来は全長約五〇メートル、前方部を南に向けた前方後円墳でしたが、いまでは前方部はすべて削平されて家がたち、後円部も周囲をけずられて円筒状になってのこっています。 江戸時代の末、一八五五年(安政2)ころに後円部が開墾され、そのさいに、凝灰岩でかこまれたとおもわれる石棺が一基と直葬された石棺が二基出土しています。刳抜式石棺で、いわゆる舟形石棺の形状をしており、棺蓋の短辺部はななめの方向に切られています。破損している部分からみると、棺内は全面を赤色顔料で塗付されていたことがわかります。この石棺は、すぐそばの火山の凝灰岩(相地石)を使っています。出土遺物は、鏡、石釧五、管玉、ガラス玉が多数伝えられています。石棺や副葬品から古墳時代前期後半から末に築造された古墳とされています。一墳丘中に三基の石棺をもつことは特異です。そういえば鷲ノ山の石棺材産出地に近接する快天山古墳も3つの石棺を埋納していたように記憶しています。赤山古墳とこの快天山古墳はそれほど築造時期に差があるとはおもえません。いずれも石棺材産出地の近くに築かれた古墳であり、石棺製作者との結びつきをうかがうことができます。