武蔵国豊島郡衙の歴史探訪。
御殿前遺跡(豊島郡衙跡)の特徴
御殿前遺跡は武蔵国豊島郡衙の跡です。
先土器時代から近世の複合遺跡が魅力です。
奈良・平安時代の建物跡が見どころです。
武蔵国豊島郡衙(ぐんが)古代の役所があった跡。古代の武蔵国には、21の郡が置かれていたようです。現在の東京都には、当時は豊島郡・荏原郡・多麻郡になっていて、豊島郡の中心がこの一帯であったようです。
東京都北区指定史跡御殿前遺跡は、先土器時代から近世にわたる複合する遺跡です。なかでも奈良・平安時代に造られた建物の跡は、武蔵国豊島郡の郡喬(地方役所)と推定されています。古代の武蔵国には21の郡が置かれ、現在の東京都は豊島郡・荏原郡・多麻郡にあたります。この豊島郡街の中心部分がこの一帯です。東京都北区教育委員会。
西ヶ原界隈は先土器時代から近世にわたって複合する御殿前遺跡といって、奈良・平安時代に造られた建物跡が、武蔵国豊島郡の郡衙(地方役所)と推定されているのだそう。古代の武蔵国には21の郡が置かれていて、今の東京都は豊島郡・荏原郡・多麻郡にあたるそう。こんなのどかな住宅街が、古代は豊島郡衙の中心だったなんて発見でした。
武蔵国豊島郡衙(ぐんが)は古代の役所跡で、千代田・文京・台東・荒川・北・板橋・練馬・新宿の行政の中心になっていたそうです。2年ほど前にここで発見された連房式鍛治工房跡は、7世紀後半頃のもので、東日本で最古と考えられるのだとか。郡衙跡は今は静かな公園や印刷工場になっています。
名前 |
御殿前遺跡(豊島郡衙跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/nishigahara/gotenmae.html |
評価 |
3.8 |
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武蔵国豊島郡の郡衙(ぐんがu003d地方役所)跡とされる場所です。古代の律令時代におきまして、日本全国を支配するにあたり、国の下に郡を置きました。国を支配するのが国衙ですが、郡を支配するのが郡衙という役所でありました。豊島郡は現代の千代田区・文京区・台東区・荒川区・豊島区・北区・板橋区・練馬区・新宿区などが当たります。豊島郡の郡衙跡は御殿前遺跡と七社神社前遺跡、地下鉄7号線西ケ原駅地区遺跡の3つのエリアに分かれています。御殿前遺跡は郡庁が軒を連ね、七社神社前遺跡には蔵が並んでいました。京浜東北線王寺駅前の飛鳥山麓から同上中里駅前の一帯である滝野川公園・平塚神社付近から国立印刷局東京工場付近が御殿前遺跡、飛鳥山麓の七社神社付近が七社神社前となります。中でも御殿前遺跡は、時代も律令時代以前の物が重層的に見つかり、旧石器時代の遺物や、縄文時代中期後半の集落跡、弥生時代後期の集落跡などが見つかっているようです。近くに石神井川や隅田川が流れるこの場所は水の確保をはじめ、食料や物流などに便利な場所だったのでしょうね。さて、滝野川公園の御殿前遺跡(豊島郡跡)ですが、御覧のように土器をはめ込んだ石碑があるだけで、遺跡の面影はありません。ただ、webページの解説を見たり、近辺の平塚神社に伝わる平塚城の由緒の古さから、この場所が昔から便利な場所だった事をうかがい知ることが出来ると思います。