江戸時代末期の水天像、貴重な重文!
慶性院の水天像の特徴
全国でもきわめて少ない水天をあらわした石造物が存在します。
慶性院の境内に位置し、歴史を感じられる特別な場所です。
江戸時代末期に建立された貴重な文化財、重文に指定されています。
十二天の一つ、水天をあらわした石造物は全国でもきわめて少なく、都内では3基、市内では唯一であり、貴重である。江戸時代末期の住職慈賢の造立である。慶性院の東側山門を入ると、すぐ右側に3体の石仏があります。重宝に指定されている水天像は一番右にまつられています。説明板から見ると左側です。左 庚申塔 享保7年(1722)10月吉日中 弁財天 寛延2年(1749)右 水天像 江戸時代末期(東大和市重宝)いずれも村山貯水池に沈んだ石川の里のそれぞれの地にまつられていました。
水天像は慶性院の第19世住職円鏡法印慈賢が江戸時代末期に建立したと伝えられています。ちなみに「水天」は世界を守護する12天の一つで水難除けの対象となっています。慶性院は元々は現多摩湖沿いにあったので当時は川沿いにあったんではないか…⁉️と推察されます。この像は全国でも例が少なく都内に現存してるのは三例しか無い貴重なモノです。東大和市の重宝に指定されています。見過ごしてしまうような石像ですが、こんな由来があった事に驚き👀‼️です。
東大和市の重文。都内に三基しかない貴重な彫塑。左側面に「當山住 慈賢建(?)之」とある。多摩湖の造成に伴い、慶性院は現在の地に移転した。その際に同時に移設されたもの。農業で生計を立てていた狭山丘陵の谷戸の人々が、水難除けや雨乞いのために信仰していたものと思われる。
名前 |
慶性院の水天像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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慶性院の境内にある。