淡輪駅から辿る歴史の古墳。
淡輪ニサンザイ古墳(垂仁天皇皇子 五十瓊敷入彦命 宇度墓)の特徴
淡輪駅から近く、電車からも見える立地にあります。
墳丘長173mの前方後円墳として有名で歴史を感じます。
五十瓊敷入彦命の宇度墓として知られています。
南海和歌山本線の淡輪駅を通過する時によく見える古墳に興味があり行ってきました。宮内庁管理の御陵なので中には入れませんが周りの整備はよくされていると思います。大きくえとても立派な古墳でした。
駅のホームから日本の歴史を感じられます。感動しました。
宇土墓と呼ばれる垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされてます。五十瓊敷入彦命は近くの船守神社の御祭神です。古墳の周りのお堀には水鳥が沢山生息してます。淡輪駅の真横で昔から気になってましたが、初めて近くまで来れました。
一部を除いてぐるっと一周でき、造出も観察できます。水鳥がたくさんいる、形のきれいな古墳です。
駅のすぐ南側にあります。車で来られる方は駐車場は無いようでした。蓮だと思うのですが周濠いっぱいにあり花が咲いていました。周濠の周り半分は道路があり、とても見学しやすいです。
淡輪御陵古墳。淡輪の駅から見えるあの森は何?と思っていたら古墳でした。駅側から見える木々には鵜が止まっています。周辺の木々は枯れているので、鵜がよく見えます。古墳の周りの池には睡蓮が咲き、駅側の池にも鵜がいっぱいいました。
5世紀中、後期に築造されたと見られる墳丘長約180メートルの前方後円墳。近つ飛鳥博物館にて、この古墳(宇土墓)で発見された独特な淡輪技法(リングの形の台にのせて製作)と呼ばれる円筒埴輪が展示されていました。古墳周りは途中外れますが、おおよそ一周出来ます。付近にある6つの陪冢も徒歩圏内です。紀小弓の真墳ではないか?とも伝えられ埋葬者に関しては謎のようです。淡輪技法と呼ばれる円筒埴輪は和歌山の紀の川周辺で作られていたという説があります。大型古墳が二つもあれば付近に埴輪窯跡があってもおかしくはないと思いますが、ないみたいです。淡輪技法と呼ばれる埴輪は淡輪で作られた物でないのかも知れませんね。
電車の窓から気になっていた宇度墓古墳に。淡輪駅から繁る木々が見え、鳥のにぎやかな鳴き声が聞こえます。まわりは柵で囲まれていて入ることはできませんが、古墳に沿って歩くことができました。畦道沿いは燕が何羽も飛んでいたり、亀が甲羅干ししていたり、のどかな感じがしました。また、睡蓮や黄菖蒲の花が咲いていて綺麗でした。ゆっくり歩いて1周だいたい15分くらいなので散歩に良いかもしれません。古墳には後円部を取り囲むように陪塚6基があるそうですが、わかりませんでした。*2019年5月3日、淡輪駅で降りてみさき公園駅まで、歩いて岬町の淡輪古墳巡りをしてみました。案内の看板がたっているのはまだましで、太陽光発電のソーラーパネルに変わっていたり、工事車両や資材置き場になっていたり、燦々たるありさまでした。全般的に手入れがほとんどされておらず、古墳が町に大切にされていないのがよくわかりました。宇度墓古墳…○淡輪遺跡…畑鴻ノ巣古墳…民家西小山陵古墳…太陽光発電西陵古墳…○真鍋山古墳…工事車両・資材置き場。
墳丘長173mの前方後円墳、築造時期は5世紀中-後半頃の西暦440年-460年頃と推定。以下、ウィキペディアより。「宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命の墓に治定」 「岬町の大型古墳群(西陵古墳・西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳)では円筒埴輪に独特の技法(淡輪技法)が見られるが、同様の技法は和歌山平野の木ノ本古墳群(和歌山市木ノ本)にも見られることから、淡輪古墳群は紀伊勢力(紀氏)との強い関わりの中で成立したと考えられている」 ̄o ̄)/この古墳の埋葬者、きっと海からよく見える場所に古墳を造りたかったんだろうな。淡路やもしかすれば神戸あたりからも見えていたのかもしれない。
| 名前 |
淡輪ニサンザイ古墳(垂仁天皇皇子 五十瓊敷入彦命 宇度墓) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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淡輪駅から見えてる森林みたいなのは古墳だったとGoogleマップで調べてから知りました。周辺歩いたことありますが空気が綺麗だし小鳥のさえずりもあるので落ち着きます。あんまり人も通りませんし。