平和の灯が照らす歴史。
平和の灯の特徴
平和の灯は、核兵器廃絶を願う象徴として存在しています。
1964年設立のこの場所は、原爆ドームと一直線に見える位置にあります。
丹下健三氏によって設計された美しい記念碑が訪れる人々に歴史を想起させます。
昭和39年(1964)8月1日に建立されました。設計は丹下健三氏。反核と恒久平和実現まで灯し続けられるそうです。火種は、全国12宗派からの『宗教の火』、全国の工業地帯からの『産業の火』から採火したものです。
路面電車の中、色んな人種の人々が相手を思いやって乗っている…席を譲ったり譲られてたり…この地球もこの路面電車のようだといいのに…
とても近くまで行けます。「核兵器が地球上から全てなくなるその日まで燃やし続ける」という誓い(願い)を込めて灯されました。設計は丹下健三氏。手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現している。灯は慰霊碑や原爆ドームと一直線に並び、広島が世界に発信する平和のメッセージを象徴しています。慰霊碑のアーチの前に立つと、アーチの奥に、平和の灯と原爆ドームが守られるように祈りに抱かれるように見えます。アジア競技大会や、ユニバーシアード大会の聖火として採火されたこともあります。建立:1964年(昭和39年)8月1日建立設立者:平和の灯建設委員会設計:丹下健三氏。
資料館、慰霊碑、平和の灯と原爆ドームは一直線上に並んでいます。祈りの道です。慰霊の道です。「平和の灯」の灯火は核の脅威がなくなる日まで灯され続きます。
消える事のない炎。いろいろな事を考えさせられました。
核爆弾が世界からなくなる日が来ることを心より願います。
水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するため。全国12宗派から寄せられた“宗教の火”、溶鉱炉などの全国の工場地帯から届けられた“産業の火”が1945(昭和20)年8月6日生まれの7人の広島の乙女によりつけられたようですこの火は、1964年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっいる。
本日、77回目の「広島原爆の日」。慰霊碑の先には平和の灯、原爆ドームが見えます。私には 2 つの手の彫像が「(愚かな戦争など)もう止めろ」と両手を振り上げようとしているように見えます。人間は何故、愚かなことを繰り返すのでしょうか。人種、言語、文化など違って見えても、元はアフリカから派生したのです。人間はみんな親戚、兄弟です。自分だけ良ければ、自分の国が良ければ、肌の色が違う、容姿が違う、そのため違うものは排除する、あるいは蔑む。私はそれらはそれぞれの個性だと思います。素晴らしい個性をみんな持っています。認め合って友達になろう。戦争はやめよう。
平和の灯は、昭和39年(1964)8月1日に設立された。その日に点灯されて以来ずっと燃え続けており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しています。設計は原爆死没者慰霊碑も設計した丹下健三氏。
名前 |
平和の灯 |
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ジャンル |
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電話番号 |
082-504-2390 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.8 |
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