水戸の梅が香る弘道館。
弘道館公園の特徴
水戸駅から近く、アクセスが良い弘道館公園で豊かな梅林が広がっています。
日本最大規模の藩校跡に位置し、歴史を感じられる散策エリアです。
落ち着いた雰囲気の中で楽しむ梅の花と夜梅祭のイベントが魅力的です。
水戸城へ行って来ました。大手門が再建さてています。大手門橋から向かって左の巨木が伐採されました。弘道館から大手門がよく見えます。
水戸駅前から歩いてすぐで、はじめての水戸、勝田駅はとても新鮮でした落ち着いた街でした😊
弘道館は天保12年(1841年)、水戸9代藩主・徳川斉昭が藩校として創設した日本最大規模の藩校で、学問と武芸の両立を重んじた教育が行われました。弘道館建学の精神は、天保9年(1838年)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目が記されています。水戸学をはじめ、儒学・医学・天文学・武術など幅広い分野を学べる施設でした。明治維新期には、尊王攘夷や幕末の動乱に関わる人材を多く輩出しました。敷地内には水戸藩九代目 徳川斉昭公お手植えの松など見所も多いです。建物内には有名な欅板に斉昭書で「游於藝(げいにあそぶ)」と刻まれた扁額などあり、水戸藩が教育にかけた熱意が感じられます。
ここは一度は訪問すべき歴史的な場所です。こんなに良い状態で保存されているとは知らず、今まで訪問しなかったことを後悔しています。藩士の教育のために力の入った施設を用意したことがひしひしと感じられ、教育とはどうあるべきか考えさせられました。
梅が見頃でした。梅の花の良い香りがすごく感じられました。観梅は偕楽園も良いですが、弘道館周辺だけでも満足度が高いです。
昨日訪れ、天気は雪園内の梅は五分咲き?梅の香りは、偕楽園よりも強く感じられた!
水戸城の三の丸にある、徳川時代の旧藩校弘道館の敷地にある公園です。入場料無料で、開放されています。お堀跡や、梅林、史跡等が点在しています。また、新しいお手洗いを利用できます。車の時は、旧県庁の駐車場に停めて、散策できます。
水戸で梅と言えば偕楽園ですが、こちら弘道館にも梅が多く植えられています。梅の咲く時期の散歩は梅の香りが気持ち良いです。偕楽園に比べて静かな雰囲気で良いと思います。
水戸駅から北方向にある公園。きれいに整備されていました。弘道館番所、有料の館内公開などがありました。
| 名前 |
弘道館公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
029-231-4725 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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弘道館公園は、水戸駅の北700mほどの茨城県水戸市三の丸に整備された公園です。以前は「第二公園」と呼ばれていました。現在は、弘道館正庁・至善堂といくつかの建物や碑が残っています。園内には約60品種800本の梅が植えられており、偕楽園とともに梅の名所となっています。『弘道館(こうどうかん)』は、天保12年(1841年)9代藩主・徳川斉昭によって開設された江戸時代最大級の藩校です。当時の日本は、内政の行き詰まりと外国船の来航という「内憂外患」の危機に直面していました。斉昭は、この国難を乗り越えるためには、優れた人材の育成が不可欠であると考え、藩政改革の柱として弘道館を設立しました。その教育理念は、斉昭自らが起草した「弘道館記」に記された「神儒一致(しんじゅいっち)」と「忠孝一本(ちゅうこういっぽん)」に集約されます。これは日本古来の神道と儒教を融合させ、国家への忠誠と親への孝行を同義とする思想です。弘道館は、現代の総合大学に近い性格を持っていました。その敷地は約10.5ヘクタール(東京ドーム約2.3個分)という広大なもので、文武両道を重んじる教育が行われました。学問は、儒学、歴史、医学、天文学、数学、さらには蘭学(西洋学問)まで幅広く教えられました。武芸は、剣術、槍術、馬術、砲術などの修練が行われました。「卒業」という概念がなく、若者から老人まで生涯にわたって学び続けることが推奨されていました。幕末の尊王攘夷運動の思想的支柱となった「水戸学」の発信地でもありました。藤田東湖や会沢正志斎といった学者たちがここで教鞭を執り、彼らの思想は吉田松陰や西郷隆盛など、後の明治維新を牽引する志士たちに多大な影響を与えました。また、最後の将軍となる徳川慶喜も、幼少期にこの弘道館で厳しい教育を受けました。慶喜は後に大政奉還を行い、江戸幕府が終焉を迎えた際、謹慎の地として選んだのも、自身の学び舎であった弘道館の「至善堂(しぜんどう)」でした。明治元年(1868年)弘道館は幕末の動乱に巻き込まれます。水戸藩内の対立による「弘道館の戦い」により、多くの建物が焼失しました。しかし、正庁や至善堂、正門などは戦火を免れ、当時の姿を今に伝えています。明治5年(1872年)学制発布により藩校としての役目を終えましたが、その後は県庁舎や学校として利用され、昭和39年(1964年)には国の特別史跡に指定されました。現在の弘道館は、「近世日本の教育遺産群」として日本遺産に認定されています。早春には約60種800本の梅が咲き誇り、斉昭が「文武を極める一休みの場所」として造った偕楽園との一対の理念を体感することができます。弘道館の歴史は、単なる教育施設の記録にとどまらず、混迷する時代の中で日本人がいかに学び、国を思ってきたかという精神の歴史でもあります。