高安千塚古墳群、歴史の息吹を感じて。
高安千塚古墳群の特徴
住宅地の中に点在する高安千塚古墳群があります。
六世紀後半に築かれた横穴式石室墳が群集しています。
看板を見て古墳群の存在に気づく体験ができます。
高安千塚古墳群。6〜7世紀の群集噴。大阪府八尾市服部川の神光寺付近に説明版がある。古墳開口部は南向き、中に入れるものもある。
農道を山側に少し上がると、点々と古墳が現れます。古墳は私有地あり、道路からの見学でしたが、約1
石に書かれた文字が読めない。少し北側に解説板があります。「高安千塚古墳群は、6世紀から7世紀にかけて造られた横穴式石室を有する古墳が集まった群衆墳です。古墳の分布と地形から「大窪・山畑支群」、「服部川支群」「郡川北支群」「郡川南支群」の4支群に分けています。大正時代には540墓の古墳があったとの記録がありますが、現在230墓が確認できます。ここ「服部川支群」には最も多くの137墓の古墳があり、古墳群の特徴である広い石室をもつ服部川7号墳や全国でも類例のない2つの玄室をつないだ構造の二室塚古墳(服部川25号墳・市指定史跡)などがあります。」
お墓参りに行った際にたまたま見つけた看板に書かれていてここが高安古墳群なのかとわかりました。来迎寺に看板がありそれでようやく気付く感じ。大窪畑山6号墳・7号墳・8号墳が来迎寺周辺にはありますが正直8号墳はわかりませんでした。6号墳はもはやただの盛り土状態で横穴も盛り土が崩れてほぼふさがっている状態。それに比べ7号墳は抜塚としてしっかり機能しておりちゃんと通り抜けることができます。170センチほどの私が少しかがむかかがまないか程度の大きさでかなりの大きさです。7号墳は一見の価値はありますね。
付近一帯に群集する古墳は六世紀後半を中心に築かれた古墳時代後期の横穴式石室墳である。 遺体を安置する奥の玄室(げんしつ)部とこれに通ずる羨道(せんどう)部とからなっている。 巨石を組んで石室を設け、土を盛り上げた円墳でほとんどのものが入口を南に開いている。 総数約二〇〇基を数えるこの古墳群は比較的古い時代の群集墳として著名である。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】*古墳の数は調査した時期により異なります。
名前 |
高安千塚古墳群 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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住宅地の中に幾つか見られる古墳。