法隆寺大講堂で千年の静寂。
大講堂の特徴
法隆寺の大講堂には、薬師三尊が祀られており圧倒されます。
990年に再建された大講堂は、千年を超える歴史を感じさせます。
僧侶の勉学の場としても使われた、静かな佇まいが魅力です。
「大講堂(だいこうどう)」は、西院伽藍(さいいんがらん)の北側に位置する、僧侶が仏教を学び、法要を執り行うための建物です。五重塔や金堂が「仏(仏像や供養)」のための空間であるのに対し、この大講堂は学問と儀式のための空間という役割を持っています。創建当初の建物は925年に落雷で焼失しました。現在残っている建物は、990年(平安時代中期)に再建されたものです。横幅が約34メートルもあり、法隆寺の西院伽藍で最大の横長建築です。
金堂、五重塔と同じく国宝(何れも写真の奥の建物)平安時代に焼失により再建されている。
平安時代の建物だそうです。仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されたそうです。ご本尊の薬師三尊及び四天王像が祀られてます。
現在は廻廊で経蔵、鐘楼と繋がっている大講堂ですが、以前は大講堂、経蔵、鐘楼は廻廊の外にあったそうです。つまり創建当初の西院伽藍は金堂、五重塔のみの完全に閉ざされた空間だったようです。そしてまた現在の大講堂の間口は九間ですがそれは元禄時代の修理の際にそうなったのでありそれ以前は八間だったようです。八間。これまた中門の四間、金堂二階の四間、五重塔の上層の二間と同じ偶数ですね。偶数では正面が取れないので建物としてはなはだ不便です。なので大講堂も元禄時代に九間に改められたのでしょう。はたしてこれらは一体何を意味しているのでしょうか?
☆今の大講堂は世暦元年(990年)に再建された約1030年前の木造建造物。創建時の建物は平安時代の延長3年に炎上🔥今の大講堂、間口が七つ、軒が高く何となく優雅で明るい雰囲気の単層入母屋造、堂内中央に薬師如来、左右に日光・月光菩薩、四隅に四天王像が安置されてます、堂内もゆったりして広いです、各諸像も大講堂再建時に作製された平安時代中期の仏像だそうです、優美👀☆堂内は撮影禁止📷️🈲
聖徳太子言えば法隆寺!多くの学生が歴史を学ぶ程有名な6世紀ごろからの寺院。拝観料は¥1,500ではあるがとても綺麗に管理されており心が和む雰囲気が楽しめる。早朝から行くと観光客も少なく空気も澄んでいてとても気持ちがいい。周辺の街並みも古家で情緒ある場所で素敵ですね。
素晴らしい②
9月の平日の午後、空いていたのでゆっくり見学出来ました。
中の仏さまも建物も素晴らしいです。
| 名前 |
大講堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0745-75-2555 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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法隆寺大講堂ほうりゅうじだいこうどう国宝時代:平安中期西暦:990構造および形式等:桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺員数:1棟所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内重文指定年月日:18990405国宝指定年月日:19510609所有者:法隆寺金堂、塔の中央後方に離れて建つ大建築で、金堂よりもはるかに大きい。現在両脇に回廊が取りついているが、もとは北回廊は金堂・塔を囲んで南方で閉じられ、創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていた。旧堂が延長三年(九二五)に焼失、現在の建物は正暦元年(九九〇)に再建された(『別当記』)。再建後たびたびの修理改造をうけていて、中世に西側に庇が設けられ、元禄の修理にこの部分を取りこみ、西側柱を移動させてそのあとを補い、九間堂に改めた。したがって創建堂も現堂の再建時も、桁行は八間であった。昭和の大修理で軒・小屋組・造作などは再建当時の形式に復原されたが、桁行は九間のままになっており、本来は柱列が重複する西方一間分だけ短い。壇上積基壇上に立ち、組物は側・入側とも平三斗、中備間斗束、繋虹梁を入れ、母屋は断面馬蹄形の桁の上に大虹梁を架け、周囲は化粧屋根裏、母屋は大虹梁の下に組入天井を張り、三間の来迎壁と仏壇を設ける。軒は二軒で、垂木上に木舞をあみ、垂木の間は土壁で仕上げ、化粧垂木の上に別に野小屋を設けて、奈良時代の技法より国風化している。創建堂は全体の規模位置は同じであるが、庇の柱間は現堂のほうが大きい。『資材帳』には大講堂はみられず、かえって食堂の規模がこれと一致し、創建堂の礎石が古材転用であることなどとともに、創立沿革に複雑な事情があったことを思わせる。文化遺産オンラインHPより。