国重要文化財の静寂、薬王院で心落ち着く。
吉田山 藥王院(天台宗)の特徴
国指定重要文化財の薬王院本堂は、心を落ち着ける圧倒的な雰囲気を持っています。
茅葺き屋根の仁王門が印象的で、住宅地の中に佇んでいます。
雪景色とも相まって、静かで幻想的な撮影スポットとしても人気です。
全国善光寺会の会員寺です。御朱印はインターホを押して、寺務所でいただけます。
吉田神社の神宮寺として吉田山に在する古刹です。本殿の巨きさに圧倒されます。
お寺はすごくご立派で、きれいに手入れされています。御朱印はコロナウイルスの為✗
お墓参りに行きました。桜がきれいでした。穴場かもしれないです。
静けさがあるお寺。その大きさにびっくりした。郷土かるたにある。薬王院 入母屋造りの 大本堂こんな近くにこんな凄い建物があったなんて!
天台宗吉田山・神宮寺・薬王院薬王院の本堂は国重要文化財になっています。令和4年6月~令和6年8月末まで本堂屋根替保存修理がおこなわれています。本堂がとても立派です。個人的に本堂の屋根が好きです。他にも見所がたくさんあります。水戸十ヶ寺。
桁行7間 梁間5間という非常に大きな規模である国指定重要文化財【薬王院本堂】は見ているだけで心が落ち着いてきます。
1月7日 雪が積もった中 薬王院 で 院 内 撮影してみました 雰囲気のある 佇まいで 撮影していても 身 体 引き締 る 感じです 雪など めったに 降る ことがないので このような景色は初めて見ました。
歴史ある素晴らしいお寺。盆や彼岸によく駐車禁止の場所に駐車する馬鹿どもがいますのでご注意を。
| 名前 |
吉田山 藥王院(天台宗) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
029-247-6266 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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吉田山 薬王院(やくおういん)金剛寺は、水戸駅の南1.6kmほどの茨城県水戸市元吉田町に伽藍を構える天台宗の寺院です。常陸国四十八薬師霊場」の第1番札所です。平安初期に桓武天皇の勅願所として建立されました。常陸三の宮の吉田社の神宮寺として国家安全の祈祷をつとめ、この地方の豪族である常陸大掾氏と密接な関係をもって、その帰依と同時に保護をうけてきました。鎌倉時代以降、栄智・広海・成珍と相承しましたが、なかでも成珍は、税所氏の養子となった石河忠成の孫で師僧都と尊称され、山本郷・吉田郷を相伝し、一分地頭として鎌倉幕府の御家人的な立場になっていました。このようにして鎌倉幕府とのつながりが深くなるとともに神宮寺は「公家・武家兼帯の御祈祷所」として次第に吉田社の支配から離れ、独立したあゆみを進めるようになりました。南北朝初期には、北畠親房に天下静謐の祈祷を命じられ、吉田山神宮寺を中心とした地域は、一時南朝の勢力下にありましたが、南朝の敗退とともに足利氏の支配下に入り、足利方の大掾氏とかかわりを持ってきます。また鎌倉末期に大仏宗宣によって大宝八幡宮の別当に補任された神宮寺別当成珍は、それ以前に大宝八幡宮の別当であった覚舜-舜海-舜聖の系統の人々と争いを続け、南北朝期に入って、貞和元年(1345年)に舜聖を退けて別当の地位を確保し、吉田山神宮寺と大宝八幡宮の別当職は、吉田氏流で大掾氏の一流である石河師僧都成珍の流れに掌握され、成珍-良珍-康珍-頼珍と相承しました。室町期に入って、応永29年(1422年)には、神宮寺の外護者であった大掾氏も河和田城の江戸通勝のために水戸地方の本拠を奪われ、大掾氏の勢力が府中(現在の石岡市)に退いたために、薬玉院は新たな領主の江戸氏の外護を受けるようになりました。神宮寺としての性格が薄くなり、長い間神宮寺と呼ばれていた吉田山神宮寺は、この頃から吉田山、あるいは薬王院と通称されるようになりました。天正18年(1590年)江戸重通が佐竹義宣のために水戸を追われ、薬王院は佐竹氏の支配のもとに置かれるようになりました。義宣は、本拠地太田の一乗院を吉田山薬王院に移し、江戸氏の出身である薬王院別当尊仁を退けて、佐竹義盛の子弘喜を入寺させたために、長い間、吉田・那珂郡の天台寺院であった薬王院は、一時真言宗一乗院へ変わりましたが、佐竹氏が秋田に移ったのち再び天台宗に復しました。江戸時代の吉田山薬王院は、朱印地五捨石を領して、寺中六ケ坊、末寺八ヶ寺、門徒十一ケ寺を擁し、水戸藩の菩提所として代々の水戸藩主の帰依が深くなりました。『仁王門(茨城県指定有形文化財)』は、寄木造り、茅葺きの八脚門で低い基壇の上に立ち、正面は連子で、その中に仁王像を安置しています。脚固貫のところにぐるりと長押を周している手法は大変珍しいものとされています。『本堂(国指定重要文化財)』は、享禄2年(1529年)に再建されたもので、室町時代後期の「方五間」の大型密教建築で、水戸市内では最古の木造建築物であり、戦火を免れた貴重な遺構です。茅葺き屋根の重厚な外観と、内部の精巧な彫刻や彩色が特徴で、中世から近世への過渡期における建築技法を今に伝えています。天台宗(てんだいしゅう)は、平安時代初期に最澄(伝教大師)によって開かれた日本仏教の代表的な宗派です。中国の天台山で学んだ最澄が、延暦25年(806年)に日本で開宗しました。総本山は、滋賀県と京都府の境に位置する比叡山延暦寺です。天台宗の最大の特徴は、『法華経』を最高の教えとし、「すべての人が仏になれる」という「悉有仏性(しつうぶっしょう)」の思想を掲げている点です。教えの根幹には、円教(法華経)・密教・禅・戒律の4つを統合した「四種相承」があり、多様な修行を認める寛容さを持ちます。最澄が比叡山に建てた学問所は「日本仏教の母山」と呼ばれ、後に浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など、鎌倉仏教の開祖たちがここで学びました。修行面では、比叡山の山中を1,000日間歩き続ける「回峰行」などの厳しい修行で知られます。また、最澄が残した「一隅を照らす(いちぐうをてらす)」という言葉は、一人ひとりが置かれた場所でベストを尽くすことが、社会全体を明るくするという天台宗の精神を象徴しています。