水色と白の喜び、須波麻神社で。
須波麻神社の特徴
鳥居をくぐると水色と白の風が感じられる神社です。
昔、防空壕があった場所に鎮座する歴史深い神社です。
西の方には河内湾の浜が広がり、幻想的な景色を楽しめます。
大阪府大東市中垣内に鎮座する式内社です。御祭神は「大国主命」で、口承では出雲大社と同体であると言われています。一方で度会延経が江戸時代中期に著した『神名帳考証』は当社の祭神を「木神」としており、これを受けて木の神である「久句能智神」を祀るとする説もあります。当社の神を木の神とする理由は不明ながら、或いは背後の生駒山地が木材の供給源とされたことが反映されたのかもしれません。近隣の村々を氏子としていた有力な神社だったようです。しかし今では中垣内地区のみを氏子としており、ひっそりとした小さな神社となっています。境内は三つの空間に分かれています。すなわち、鳥居をくぐった先の空間、石段を上って手水舎や休憩所等のある空間、さらに石段を上って社殿のある空間です。これら三つの空間が石垣によって区切られており、一つ目の空間は砂地で広々としたものとなっています。
かつては神社の直ぐ側まで海岸だったとか。
昔防空壕があったらしいですが、今は防空壕は、埋められているいるらしいです。
鳥居に入ると水色と白い風のような喜びに溢れたしあわせな空気を感じます。お稲荷さんの手前でいつも青い蝶をみます。
人間界と自然界の境目〜山のふもとに鎮座していて静かな神社でした♪トイレも簡易的なのが設置されていました。
大東市で唯一の延喜式の式内神社で歴史は古いです。スハマという名前からして、たぶん神社が創立した古代はこの辺は海が近くにあったと思います。
須波麻神社すはまじんじゃ大阪府大東市中垣内2丁目7‐1祭神大国主命神社名が示すように創設当時河内湾が存在それが河内潟、河内湖になり淀川、大和川の土砂堆積で今では広大な平野で工業地帯、住宅地が広がる鳥居前に立ち西の方を見ると瀬戸内海の東の端の河内湾の浜に打ち寄せる浪の幻想を抱く背後=東には生駒山地が続くなお当社の鎮座する北河内は大陸、半島の動乱より避難した亡命知識人多いそれらが自分達の神社、寺院を造るあるいは奈良より少し離れたところに意図的に王朝官人が住まわせたか?なお北河内は現在大阪、京都のベッドタウンとして全面開発、各神社の場所は分かり難い又大阪の方の運転は「イラチ」=いらいらする意味か?流れのスピード早く、地方から行くと慣れるまで注意!
小さな神社です。
お正月の準備が整っていました。とてもきれいにされてて、静かな雰囲気も 良き感じでした。お清めのお水は、ものすごく冷たい!山の湧き水なのかな?
| 名前 |
須波麻神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
072-981-7292 |
| HP |
https://www.osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai3shibu/daito-city/t64.html |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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須波麻神社(すはまじんじゃ)。大阪府大東市中垣内。式内社(小)、旧郷社。主祭神:大国主命【祭祀対象】木霊資料によると、阪奈道の西下、生駒山の山麓に鎮座する。この地は一万年以前から河内湾→河内潟→河内湖と変貌をとげた低地であり、八~九世紀ごろはまだ湿地帯であつた。河内湖が縮少しても、なおこの地域には新開池、深野池などの大きな池が残り、この神社のすぐ西はそうした池の水辺になつていたと思われる。そのために水辺に祀られた神として渚濱(すはま)に位置していたことから、社名になつたものと考えられる。渚浜(すはま)は大東市で現在知り得る最古の地名である。神社の近くからはト骨や呪具と見られる遺物も出土しており、五~六世紀ごろからの祭祀場所を承け継いできた霊地であつたことが推察できる。祭神は木霊との伝承もあり、当社の西南5kmに彌生時代の前期~後期につづく瓜生堂の彌生期大遺跡があり、この遺跡から発掘された方形周溝墓内の木棺や、大量の農耕用木製品が検出され、そうした木製品の原料がこの瓜生堂の周辺にはなく、主に山地から搬入したものとされている。これらの大量の樹木の供給地が、このあたりの生駒西麓にあるものと推察され、そうした伐採の木霊を鎭める祭祀場として、古代人から継承された地と考えると、木神を祀つているこの神社の初源が推量できるものと思われる。とあります。