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名前 |
西養寺霊園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
武蔵野台地の東の端新河岸川の右岸にあるほとんど墓地だけの廃寺。現地の看板には…市指定文化財西養寺の鉄造阿弥陀如来像昭和四十八年四月一日指定 西養寺は、江戸時代初期の元和六(一六二〇)年没の僧侶賢海により開かれたと伝わる。天台宗の川越喜多院の末寺で、等覚山究意院の寺号を持っていた。本尊の鉄造阿弥陀如来像は、両手で定印を結び、結跏趺坐(座禅の足組み)する坐像である。高さ八十四センチメートルに及ぶ。左右には、江戸時代中期に造立された木造の観音菩薩立像と勢至菩薩立像が脇侍として並んでいる。本像は鉄で鋳造された、いわゆる鉄仏である。鉄仏の多くは中世の関東・中部地方で造られたとされるが、本像は江戸時代初期の作と思われる。 埼玉県内で鉄仏は、現在八件しか確認されていない。彫刻史のみならず文化史上、貴重で希有な作例である。江戸時代末頃の由緒書 (星野家文書)によれば、 享保年間(一七一六~一七三六年)、当時の住職秀算が隠居所として別の場所に仏堂(日影寮)を建て たときに、本尊の木造観音菩薩像を移したので、 別の場所から本像を運び、新たな本尊にしたとさ れる。平成十七年十月一日ふじみ野市教育委員。