東照宮で家康公を祀る。
御殿山東照宮(府八幡宮境内宮)の特徴
御殿山に位置する、徳川家康公を祀る神社です。
寛文年中に鎮座した歴史深い神社です。
文化十四年と安政二年に兵建された建物があります。
府八幡宮の境内社の一つ。東照大権現様=徳川家康を祀っております。
「東照宮」は、徳川家康公を御祭神としてお祀りしている神社ですね。東照宮といえば、久能山東照宮や日光東照宮があまりにも有名ですが、久能山や日光のみならず日本各地にその名を聞きます。例えば、東京都内には 上野動物園の横にある「上野東照宮」や東京タワーのすぐ側、芝公園の一角に位置する「芝東照宮」があったり、又、徳川家の親藩であった尾張、紀州、水戸など、各地に東照宮が見られます。偉大な将軍であった家康公をお祀りする東照宮。江戸時代における徳川家の力を実感しますね。現在、東照宮と名の付く神社は、全国に130社余もあるそうです。約1万坪に及ぶ緑豊かな森に囲まれた八幡宮の境内の一角。この東照宮も全国に数ある東照宮の一つです。八幡宮の境内社(本社に付属する神社)として、八幡宮の拝殿に向かって左側の短い参道の先にあります。実は、この八幡宮には16社もの境内社があり、この東照宮もその内の1社。境内の向かって左手の池の横に 伊雑宮(いざわのみや)が鎮座し、その他の境内社(14社)は、本殿の後方に並んでいます。この東照宮は、元々は、第4代将軍 徳川家綱(いえつな)の時代、1671年(寛文11年)に 現在のJR磐田駅の南に作られた御殿山に祀られた神社でしたが、明治6年に浜松県の1村1社の布達により、八幡宮の境内社として、現在の社務所の処に移り、明治45年に現在の地に祭られることになったそうです。現在、毎年6月の第1日曜日には、かつて御殿山東照宮のあった地区(御殿)の自治会の方々を中心に東照宮祭が行われています。明治時代は、神社にとっては、苦難の時代だったようです。明治初頭に布告された「1村1社の布達」ですが、これは、1つの村に氏神社を1社だけ存置し、それ以外の神社の存置を認めないという政策でした。又、明治後期に実施された「神社合祀(じんじゃごうし)」と呼ばれる政策も いわゆる神社の合併政策で、地域に点在する神社を1社にまとめることで その神社の威厳を高め、その神社を地域活動の中心にさせようとする政策だったようです。こうした政策によって全国の神社では、本殿で祭神を一緒に祀る「本殿合祀」や 神社の境内に元の神社を移転し境内社とする「境内合祀」などが次々と実施され、大正3年までに全国に約20万社あった神社は、その7万社が姿を消したそうです。この八幡宮にある16社もの境内社もそうした経緯でこの緑豊かな森に移ったのだと思います。今まで、あまり気に留めることの無かった「東照宮」ですが、八幡宮へ参詣する際は、必ず東照宮にも手を合わせたいと思います。
| 名前 |
御殿山東照宮(府八幡宮境内宮) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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寛文年中(十一年GWという)遠江国中泉・御殿山に鎮座その後が文化十四年(W)九月と安政二年(き)四月に兵建された。明治六年浜松県の一村一社の布達により八惨宮の神宮寺址(現在の社務所の処)に選産。更に明治四十五年五月現在地に祭られることになった。現社殿は昭和五十二年に建造されたものである。昭和六十年御殿地区氏子等の好意により新額面・安銭箱・鳥居の奉納と社殿前広場の整備・参道の舗装がなされた。前島雲の等による嶺面と当時華麗を極めたと言う百花の国の一部は社務所に保存されている。また特野安倍の筆による龍の墨会の天井板の一部は今も神殿の天井に残されている。建て看板より。