歴史感じるモスリン大橋を渡ろう。
毛斯倫大橋の特徴
大正末期に設立された毛斯倫株式会社の私設橋です。
阪急神崎川沿い、工場が多くのんびりした雰囲気です。
冬には街灯にセグロカモメが留まる光景が楽しめます。
たまたまそこに居たって事で、なんの感情も無いけど、生活に使っている方々には大変便利なのだろうと思います。
尼崎市の戸ノ内に架かるモスリン大橋です。モスリン大橋はモスリン紡績が私設で橋を作り地元の方がモスリン大橋と名付けたようです。そのモスリン紡績も昭和4年に倒産していますが、今でも大阪と戸ノ内を結ぶ橋の名前として残っています。何か歴史を感じますね〜
♪園田〜はなれてぇ〜神崎過ぎりゃ〜色んな歴史があるようですが、藤田まことさんのねーちゃん、ねーちゃん〜、で知りました、かっこいい橋です(名前も)周辺車は停めにくいです阪急神崎川から川沿いを、工場が多いですがのんびりしていい感じです、
JR東西線 加島駅より徒歩15分少々の場所。神崎川を越える大阪市淀川区と兵庫県尼崎市戸ノ内町を結ぶ橋の一つがこの「毛斯倫大橋」です。この名称は初代の橋が毛斯倫紡績株式会社が掛けた私橋だったことに由来します。ただ毛斯倫紡織の痕跡はこの橋の名前だけとなっており当時を偲ぶものは何もありません。
フリガナが無いと読めないであろう橋。平らな橋ではなく中央が高くなっている形状なので、橋の端からは向こう側が見えない。下流に目をやると、山陽新幹線を拝めます。
もすりんおおはし。神崎川に架かる橋。
冬の間、この橋の街灯の上にセグロカモメがよく留まっています。写真のセグロカモメはよく見る個体で、右の翼を傷めているようで下に垂れ下がっています。
橋名の由来は、大正末期の初代の橋が毛斯倫株式会社という民間会社の私設橋であったことによる。昭和7年より大阪市が引き継ぎ、道路橋として供用してきた。しかし、幅員が狭いうえ、交通量の増加、桁の老朽化および長年の地盤沈下などの影響により、危険な状態になってきたため、昭和43年、大阪高潮対策事業(嵩上げ)と橋梁整備事業(道路拡幅)の合併事業として架け替えることになった。 新橋は、3径間連続のプレストレスト合成箱桁形式で、中央径間が76.5mあり、このタイプの橋では当時、日本最長であった。2m以上の嵩上げで、高潮による被害の心配がなくなった。スマートなデザインで、桁の色はスカイブルーである。長さ198.8mの橋に7基の橋上灯を設けた。 この橋は、昭和46年にヒットした藤田まことの「十三の夜」でも歌われている。
毛斯倫大橋、モスリンと面白い名前の付いた神崎川の橋。名前の由来は最初の架橋がモスリン紡績関係会社による私橋だったことから。
名前 |
毛斯倫大橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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大阪市と尼崎市を繋ぐ橋です。