池田の渡しで歴史を感じる。
池田の渡し歴史風景館の特徴
入場無料の小さな資料館で、こじんまりとした魅力があります。
歴史的な池田の背景を感じられる、古都としての風情があります。
長藤や名物どぜう鍋にぴったりな、観光名所の一角です。
住宅地にポツンと有りました。誰でも自由に入れました。
河川敷の駐車場より堤防を超えて降りてくると、池田の渡し歴史風景館の文字が目に入ると思いますので、建物はすぐに見つけられます。天竜川と池田の渡しの歴史資料館です。無料開放されています。
正直こちらに寄るまでは池田の渡しの存在すらしりませんでした。こちらの風景館はかなり狭めではありますが無料で入ることができます。10〜15分で池田の渡しのことをかなり知ることができます。今では橋が架かっているので渡るのになんの苦労もいりませんが、昔はこの流れの強い天竜川を人はもちろん、荷物や馬も船で運んでいたと考えるとかなり苦労したのではないかとおもいます。私は歴史が好きなので、歴史好きはぜひ寄って欲しいです。ただ1回行けば全部入る内容なので次行くことはないのかなと思います。
池田の渡しの歴史を学ぶことができます。道沿いにあり気軽に立ち寄れます。駐車場がないので注意。
ここは資料館自体も、小ぢんまりしているのですが、観光客にあまり知られていないようで、ひっそりしていました。ということで、バイクを停めて、自販機のコーヒーで一服するのにも、すごく良い場所だと思います!
一言坂古戦場跡から池田の渡し跡へ来た。まさしく家康徳川軍が信玄武田軍に追われた軌跡を辿った。この歴史風景館は、徳川家康により東海道宿駅が設置されて、2001年で400年になることを祈念して作ったそうだ。こじんまりとしていて風情がある。入場無料で、車は建物の脇の道路沿いの少し広くなったスペースに停めた。トイレはない。池田の渡し(池田渡船)は、家康から年貢や租税の免除、船頭を殴ると死罪など特権を与えられ厚く保護ざれた。それは、元亀3(1572)年家康が一言坂から信玄に追撃されて池田の渡しに辿り着いたとき、池田の舟方が家康を匿い対岸まで送り届け、更に武田軍の追撃を阻むため舟や艪を隠したことに報いたからと云われている。尚、明治7(1874)年、現在の天竜川橋の直ぐ下流に「天竜橋(舟橋)」が完成、同9(1876)年木橋になり、池田渡船は長い歴史と閉じて廃止された。因みに、ここにあった「池田橋」は池田渡船廃止の7年後の明治16(1883)年に完成したものである。「池田橋の跡」の石碑が直ぐ近くにあるので、こちらも訪れることをお奨めする。《2023.2.2訪問》
無料の施設になります。浜松市の人からすると、天竜川の渡しは中野町が中心だったと思うところ、実はこちらが元締めでした。天竜川が今の位置になったのが室町時代以降で、それまではもっと東の磐田台地の際を流れていたらしいです。浜松の船越町も馬込川の渡しだったらしい。馬込川に橋がかかって、こちらに組み入れてもらったとの説明も。勉強になります。
2021/04/25長藤見に来たついでに名物どぜう鍋?というのが気になった。
古くから、池田は徳川家康から天竜川渡舟の特権を与えられ近代まで繁栄していた。こうした池田の渡しの歴史を模型などで展示紹介し、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカなどが展示され、池田渡船の歴史が分りやすく紹介されている。また、天竜川の堤防にでる右手に「池田橋の跡」の石碑がある。池田橋は明治16年(1883年)に架橋された賃取橋であった。堤防を歩き南下すると「池田の渡船場」を河川敷に再現した池田の渡し公園があり、長藤祭りに渡船体験イベントが行われる。
| 名前 |
池田の渡し歴史風景館 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日火水木金土] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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旧東海道 天竜川を渡る「池田の渡し」の歴史資料館です。周りの旧街道らしい風景に溶け込んでおり、予想していたよりは小ぶりの資料館でした。池田の渡しは1,000年以上前から続いていたそうです。徳川家康が一言坂の戦いで武田信玄から追撃された際、渡船に関わっていた池田の人々の強い協力があった。徳川家康は その恩に報いるため 池田村に対して 渡船の運営権を強く保護しました。ここまで日本橋から歩いてきて「川越し」「渡船」の歴史資料館•解説等については、ダントツで大井川が 質•量ともに充実していましたが、ここ池田の渡し(天竜川)は2番目くらいです。安倍川や富士川は ほぼ無いに等しかったと思います。