江戸時代の枯山水庭園、志布志で景色を楽しむ。
天水氏庭園の特徴
江戸時代に造られた枯山水庭園の魅力を堪能できる場所です。
志布志城の麓に位置し、歴史ある武家屋敷地区にあります。
手入れの行き届いた庭園で、自然と石の調和が楽しめます。
庭石と植栽が曲線的に配置され、膨らみを持たせているような印象でした。
庭園はよく手入れされており、お住まいの方の苦労が偲ばれます。拝見させていただき感謝です!
拝観無料。 駐車場無料。 こじんまりとした枯山水庭園。自然の岩盤が庭園に取り入れられている。無人だからなのかあまり手入れは行き届いてないように思いました。
志布志に行ったら寄ってみるべきな場所だと!無料で入るし、海石を使った庭が見れるので面白いと思いました。
県道65号の通りに面した門をくぐり石段をすぐに左に折れ、途中で右に折れる石段を登りきり、正面左手(南西に面した)の築山に様々な植栽と灯篭や石が配された路地を進むと、住居の建物があり、竹垣で仕切られていますのでそれ以上は行かないようにしましょう。入って来た石段の方に戻り左手の木戸をくぐると、(南東に面した)主庭があります。庭と同じ敷地の建物も古い建造物の様で、ガラスも古さを感じさせて、庭園の風景がガラスに反射して良い味を出してました。庭園内の建物も開放されているのかは不明で、家人は不在でしたがガラス戸は開いたままで誰でも入れそうな開放的な雰囲気でした。志布志城を借景とし、海石を配した築山枯山水庭園の様式で、海石が作り出す庭園景観は薩摩藩武家屋敷の庭に多く見られる設えでどこか明王朝の庭園を想起させる。薩摩藩は密貿易に乗じ庭師を清朝に派遣したのではないかとさえ思えてしまい想像が膨らんで愉しい。枯滝石組は三尊石形式で水分石や鯉魚石などの役石も置かれている、築庭の当初は築山手前の平地には水を表す砂が敷かれていた。手前に傾いているので分かり難いが富士山型の平石が築山の土をとめている。タニワタリなどの亜熱帯植物は南国薩摩ならではの庭園景観を作り、庭内に神仙思想に基づく洞窟石組が二つもある。この天水氏庭園は、志布志麓武家屋敷庭園群として国指定に登録されている他の庭園(平山氏庭園・鳥濱氏庭園)と比べ、最も良く現状維持されており手入れが行き届き素晴らしい状態でした。しかしこの庭園に関しても庭木が成長し過ぎているため小さく戻し樹形を整えたり倒れた石を立て直すなど多くの復元整備が必要のように感じました、是非とも志布志市に期待したい。(2019年1月23日)[現地案内板より転載]この庭園は、江戸時代中期に造られた築山枯山水の庭園で、作庭型式は風景式の三尊石組枯滝石組式、庭趣は築山枯山水・借景法で、面積は120平方メートルである。作庭者は、この庭園の元所有者村原氏の祖先と推定されている。作庭の手法は、自然の大岩盤の上に、貝蝕された海石を築山状に石組(当地方の特徴的な様式でもある)し、それにサツキ・ツツジ・ハクチョウゲ・クチナシ・モミジ等の小灌木を配植し、地被植物としてハラン・ツワプキ・ヤプラン・シダ類等を下草にあしらっている。また植栽生垣の背景には志布志内城を借景として展望することができる。築山中央正面の最高部に立てた巨石は枯滝石を象徴して庭園意匠の中核をなし、その背景の常緑広葉樹(ツバキ・アラカシ・サザンカ等)は刈込物として遠山を表象している。枯滝石の前面には、脇侍石・水分石・鯉魚右等の役石が配せられ、三尊石組枯滝石組の型式をとっている。築山の裾中央には大ぶりの富士山形の海石が立てられ、その近くには水盤的な水鉢が置かれている。さらにその左方には小さいながら洞窟石組が2箇所もつくられている。築山と在家との間には飛び石が打たれているが、おそらく後からの添作物であり、築庭当初は砂を敷いて枯れ池を象徴Lたものであったと思われる。在家の縁先には鮟鱇型或いは司馬温公型に近い手水鉢が自然石の台石3個の上に裾えられている。これは縁側の内外南側から共用できるようになっており、内側からの景観としては、視点より著しく低い位置にあるのであまり目立たず、近景としての効果は薄い。しかし、その傍らに配したシュロチク・クチナシ(以前はツツジ)等の鉢請樹によって鉢前の景色を引き立て、また遠景と相俟って景観により深い奥行きを見せている。
志布志城、麓にある武家屋敷地区にある江戸時代に造られた枯山水庭園石と植物の調和が染み入ります。
名前 |
天水氏庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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築山枯山水、趣があります。もうちょっと暖かくなって、草木が元気な時期だと更に良さそうです。