懐かしさ漂う、40年前の校舎。
本之牟礼分校跡地の特徴
40年以上前に廃校となったが、建物がしっかり残っている歴史的な場所です。
祖父が用務員としてお世話になった深い思い出のある分校跡地です。
昭和41年まで通った方々の懐かしい歴史が感じられる、故郷の象徴です。
今は神奈川に住んでいますが通っていました。朝7:00から8:00まで3年、4年生は全員参加の算盤教室やっていました。校庭中央の2本の木は栴檀の木で、この実を細い竹筒の両端に詰めて豆鉄にして遊んでいました。私の親の時代は校庭はもっと狭かったそうです。それを川をトンネルで覆うことで広げています。
ここは私の故郷です。とても、大切な場所ですが、もう訪れることは出来ない。
何十年ぶりに行ってみました。r345を走ってみたら、車(プリウス)の底が抜けるかと思うくらい腹をスリスリ(笑)なんねんも走っていないだろう道を走りました。行き止まりだったら引き返せないなぁ〜と不安を感じつつ下ると古い建物が現れました。廃校になって50年近い?建物に懐かしさを感じます。昔一度訪れた記憶が甦り、あの頃が懐かしい🤗遠足で来た覚えが有ります。全員(数名)が喜んでくれました。自分も田舎者なのに少しだけ都会人になった気持ちになったのを覚えています。 違う一面も浮かんできました。人工減少はこの頃から始まっているんでは無かろうかと社会現象を思う私は異常なのかも😌
私の父が、4年生までここに通っていました(昭和41年まで)。5年生からは本校に移ったそうですが、すぐそばを流れる小川のサワガニやら川遊びやらで1993年(平成5年)に実際に行ってみた際は、陶芸家の方が校舎を借りていらっしゃいました。今ではすっかり寂しい場所になっていますが、国内でも過疎化が先んじて進行した山間地域の事例として、記憶に残していきたいものです。
40年以上前に廃校になった割には建物がしっかり残っている。でもここに行くまでの道が怖い。
名前 |
本之牟礼分校跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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妻が通い、祖父が用務員としてお世話になった分校。ジャングルジムが設置された日を妻たちはすごく喜んだらしいです。もうすぐ閉校後50年…なんとかその前に少しでも掃除できてよかった。