六道の辻で感じる幕末の息吹。
戊辰の墓 六道口の特徴
戊辰戦争の激戦地であり、歴史を感じる場所です。
地元の人々が手向ける花が絶えない、心温まるスポットです。
旧幕府軍の戦死者を祀るひとつの墓として大切にされています。
曲線四辻の角地に佇む史跡。道幅が狭いうえに交通量がやや多く危険な為、道端での長居は無用である。幕末、宇都宮城の戦いの激戦地。官軍の戦死者は丁重に寺院等に葬られるも、逆賊賊軍たる旧幕府軍の戦死者は無念にも野晒となる。これは古より戦乱の世の哀れなる運命。しかし、地元民の慈悲の心を以て哀れなる亡者達を埋葬する。これぞ、ヒューマニズムというべきか。合掌。
ひっそりと。
六道口戊辰之墓 幕末宇都宮散歩戊辰戦争宇都宮城の戦い激戦の地、六堂辻の宇都宮藩士のお墓に詣でました。宇都宮藩は新政府軍に恭順。歴史に名もなき一人ひとりにも家族がいて、子らにとってその死はとても悼まれたことは想像するにあまりあります。そっと手を合わせてきました。(2021年9月20日訪問)
宇都宮在住乍ら墓碑を見たのは初めてでした。新選組が好きで幕末大好きになり戊辰の1ページである六道の辻感慨深いものがあります。
幼少の頃から4回/年通ってますが、戦場のひとつであったと改めて知る。
六道の辻と呼ばれ、慶応4年(1868)4月23日、戊辰戦争で土方歳三と会津藩士秋月登之助率いる旧幕府軍が新政府軍とここで激突した。19日に宇都宮城を落城させた旧幕府軍はここにとどまったが、奪還しようとする新政府軍との戦闘は激烈で、この戦闘の結果、新政府軍は宇都宮を再び掌握した。当時の城下町の城下入り口の一つで、栃木街道と壬生街道が合流する交通の要所であった。名称は「戊辰之役戦士墓」。祀られているのは旧幕府軍の戦死者で、建碑したのは新政府軍の宇都宮藩戸田三男以下14名の名が刻まれている。これは一般的にありえないことである。会津での戦闘中、戸田三男隊は捕縛した長岡藩家老、山本帯刀とその部下を処刑するが、山本は自分の刀と隊が所持していた軍用費を戸田に差し出し、「これを貴藩に提供するので、相当の費用に充てられんことを」と遺して死についた。戸田三男は宇都宮に戻ったあとの明治7年、この金を使って旧幕府軍の戦死者の墓地を整理し、建碑した。武門の誉れの出来事である。以後100年以上に渡り、この碑は地元住民に手厚く見守られ、現在に至る。
江戸時代末期の戊辰戦争の役で官軍は近くのお寺に葬られ、敗軍の残された旧幕府軍の戦死者を地元の人々によって葬り祀ってある、戊辰の墓今でもたえることなく花が地元の人々によって手向けられている。
古戦場の墓です。
江戸時代末期の戊辰戦争の役で官軍は近くのお寺に葬られ、敗軍の残された旧幕府軍の戦死者を地元の人々によって葬り祀ってある、戊辰の墓今でもたえることなく花が地元の人々によって手向けられている。
| 名前 |
戊辰の墓 六道口 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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幕末と土方が好きで宇都宮藩を調べている中でこちらへ寄らせて頂きました。お花が生けられお線香が上げられ大切にされている場所です。これからも大切にして頂きたいと切に願います。