牧野城跡で歴史を感じる。
瀬木城跡の特徴
中世の城郭跡地として、牧野氏が築いた歴史の深さが感じられます。
瀬木城の掻き上げ堤と空堀が、当時の面影を残しています。
周囲の古い神社が、城跡の静かな雰囲気を醸し出しています。
近くの牧野城を中心に、戦国時代にこのあたりを治めていた牧野氏によって築かれたと考えられている、城郭の跡地。城跡の北側に広場があり、そこが駐車場とされているが、現在は縄で閉じられており、侵入不可のため駐車場なし。 神明社が主郭に鎮座している。 縄張図をみてください。南側の虎口は神社の入り口としてそのまま残されており、左右にはしっかり土塁が残る。北側と西側の堀も現存しており、楽しめる。しかし、伐採された竹や、木が倒されており、とても歩きづらく、整理されていない。縄張図を見ると、主郭には3つの出丸のようなものが描かれているが、これらは完全に跡形なし。虎口より東側の遺構もほとんどない。ここで聞いていただきたいのは、何故東側の遺構がほとんど残されていないのかだ。実はこれは池田輝政がすぐ横の「霞堤」という堤を築く際、当時はもう使われていなかった当城の土をかき上げたためと考えられている。この「霞堤」は1590〜1600年の間に築かれたとされており、その時点で瀬木城跡は東側を失っていたのだ。東三河には多くの城跡があるが、平城で遺構が確認できるのは、吉田城や牧野城、二連木城などとあまり多くなく、当城の遺構は貴重と言える。ただし、整備がされていないので、登城の際はお気をつけください。ちなみに、堀に入るには、神明社の社殿を右から裏に歩いていくと、入りやすい。
城跡は地元の神社⛩になっていましたが、掻き上げ堤と空堀は残っています。
●堀は意外と残っていた。現存するのは、縄張り図からすると本丸と西側の堀くらいかもしれません。本丸にはほぼ朽ちかけた神明社があるのみ。もう少し整備してもバチは当たらないと思いますが?
名前 |
瀬木城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.mito.or.jp/mito-intro/toyokawahistory/1east/4-1-14 |
評価 |
3.7 |
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中世の城が好きで無い限り、何も無い古い神社にしか見えない。しかし、好きな人にとっては、面白いと思われます。南の虎口、北西の虎口と二ヶ所の虎口。西側の堀。北側には土塁の部分部分が残っています。