静岡・田中城で出会う、難攻不落の歴史。
田中城跡の特徴
田中城跡は珍しい円形輪郭の縄張りが特徴です。
菊花展や夜のライトアップが楽しめるお城です。
歴史的展示が豊富で読み応えのある体験ができます。
田中城(たなかじょう)別 名 亀甲城•亀城•徳之一色城形 態 輪郭式平城築城年 天文6年(1537年)築城者 一色左衛門尉信茂遺 構 土塁•水堀•櫓訪城日 2026/1/14現存する遺構は少なめの城跡ですが、マップを見ると当時の縄張りに沿って町が造られていて面白く感じます😀本丸を中心にした直径600mの同心円状に3重の水堀を配した珍しい構造を持った城郭で二の丸と三の丸に丸馬出しが6箇所設けられた武田氏流城郭の特徴を有していた。田中城の前身は、今川氏の家臣であった「一色左衛門尉信茂」の居城、徳之一色城であるが築城年代は定かでない様だ。一色氏が没落した後は、同じ今川氏の家臣「油井美作守」が在城した。油井氏が、桶狭間合戦で討死した後は長谷川次郎右衛門尉正長が守備したが、1570年に武田信玄が花沢城を落とした後、徳之一色城も落城したという。同年、武田信玄は馬場美濃守信房に命じ、徳之一色城を改修した後「田中城」と改名。武家家臣であった山県昌影が入城した。1582年、徳川勢に攻められると城将の依田信蕃が頑強に抵抗し守り抜くが、武田方から離反した穴山梅雪の説得により開城した。徳川家家臣•高力清長が入城した。
田中城静岡県藤枝市田中1537年駿河今川氏が築城1570年武田晴信(信玄)が攻略、馬場信春により改修、山県昌景入城三河の徳川氏に対抗する為重要視されたそうですが、確かに武田4名臣の馬場信房と山県昌景の名が出てくるので納得です(残り2人は内藤昌豊、春日虎綱(高坂昌信))円郭式城郭は日本で唯一で、周囲が湿地帯に囲まれ難攻不落の名城で戦上手な徳川家康でも攻城に7年半費やしました#田中城 #静岡県藤枝市#難攻不落 #難攻不落の名城#円郭式城郭。
田中城本丸跡は、現在小学校となっています。小学校の校庭には、田中城の天守(実際は天守はなかったようです)やお堀の縮尺模型?があります。 学校の周辺には、二之堀や三日月堀があります。櫓は、ここから少し離れた場所にあり、そこでは、御城印を購入することが出来ます。
2019/6/2Googlemapでみると今も当時の縄張りがはっきりとわかる。いわゆる環郭式の平城だったようだ。ところどころに当時の堀跡などが遺っており、遺構を見つけてぶらぶらするのもまた楽しい。
西焼津駅から結構離れた場所にある田中城に行ってきました。徒歩でもなんとかなるだろうと歩きましたが、なんとかなるもののそこそこ歩きます。先に田中城下屋敷に行きます。こちらで御城印を購入できます。屋敷と庭園が整備されていて、良い散歩の場所となっているようでした。本丸櫓が移築されていて、こちらには入ることも出来ます。この辺は徳川家康が鷹狩をした場所のようで、ジオラマもありました。また、田中城の模型は幾重にも水堀がきれいな円状に廃止されていて、堅牢なお城であったことを伺わせます。歴史を学んだところで、田中城に行ってみます。途中に平島一ノ門跡や三日月堀跡がありましたが、全く当時の面影がありません。その先に土塁の一部が見えました。これは遺構であると思われます。本丸跡には小学校が建っていて入ることは出来ませんが、二の丸跡などに水堀が一部残されています。先程のジオラマを思い浮かべながら当時の想像をしたいと思います。
静岡と云ったら「磯自慢」、焼津市にあるその酒蔵が15時で閉まるので、遠回りだが先に磯自慢酒造とその親戚の酒屋に行って宅配の手配をしてから田中城跡へ来た。車は「田中城下屋敷」の駐車場へ停めた。田中城の史跡はこの下屋敷の公園内(入場無料)と街中に堀や土塁が残る程度である。街中は道が狭そうであったので、ここから歩いて田中城の痕跡を巡った。約1時間強掛ったが、冬だったのでそれほど疲れは感じなかった。お勧め順路は、①田中城下屋敷から冠木門を出て目の前の六間川を渡り、②田中城土塁跡(Googleマップの表示名、以下同じ)、③田中城三日月堀跡(馬出曲輪)、④田中城本丸跡碑、⑤田中城二之門跡、⑥田中城二之堀、⑦田中城三日月堀跡(大手)、⑧田中城三之堀、⑨田中城三の丸土塁・家老屋敷跡、⑩平島一之門跡、⑪田中城三日月堀跡(平島)、⑫田中城三之堀・土塁跡で、ここから下屋敷へ戻る。田中城は、今川氏の代に一色信茂(足利氏一族の一色氏との関係は不明)が築き、当初は徳一色[とくいっしき]城と呼ばれていたが、永禄13年(1570年)正月に武田信玄が攻略し、丸馬出の増設等改修を加えて田中城と改名した。城の縄張りは輪郭式の一変型としての円郭式で、全国的に珍しく大変興味があった。現地の狭い道路を歩いてみると、城郭縄張りの北半分(北半円)位のところは確かにその名残を感じられた。尚、田中城と今NHK大河ドラマ「どうする家康」で注目の徳川家康とは、結構繋がる。武田氏との幾多の攻防戦以外に、「鯛の天ぷらの話」が興味深い。田中城は家康が駿府城へ移って以降、鷹狩の際よく訪れた城で、大阪夏の陣の翌年の元和2年(1616年)正月21日にも鷹狩で訪れた。その時、茶屋四郎次郎清次が京で流行の料理(鯛を胡麻油?[かやの油?]であげ、蒜[にんにく]を擦りかけた料理)を紹介し、その時丁度、榊原内記清久から久能で採れた鯛が献上されたので、家康がその調理を命じ、好んで多く食し、その夜腹痛と食あたりを起こした。そして、なんとこの約3ヵ月後、75歳の家康は駿府城で亡くなっている。死因はこの鯛の天ぷらの食中毒との説が長らく一般的であったが、現在では胃がん説が主流のようである。因みに、現地で頂いた資料において、家康がこの鯛の天ぷら(正確には当時は“天ぷら”という表現はなく、“揚げもの” が正しいらしい)を食した場所が、鷹狩の後の「田中城」なのか、それとも「駿府城」で食し、その後田中城下へ鷹狩に出かけたのか、議論されていた。勿論、有力説は前者とのことである。期待以上になかなか興味をそそる史跡であった。《2023.1.31訪問》
下屋敷跡には駐車場は完備しているし、電車でも西焼津駅から徒歩で20〜30分程度。本丸櫓(自由に入れる)や城内にあった建物が移築され気軽に見学(無料)できる。※城址見学はここ(本丸跡、現学校)ではなく、本丸櫓等のある下屋敷跡を起点に巡ると良い。元の城域は完全に市街化されているけれど、要所には表示があり、地図片手に散策してかつての姿をイメージ可能だ。個人的には、カーブした道を歩くことで珍しい円郭式縄張を実感できる、平島一ノ門から北方向のカーブした道歩きが面白い。土塁の残欠がいくつかあり、堀跡は畑となって残っている。大手ニの門も橋や水掘が残っていて素敵な眺めだ。市街化されても、よく探すとその人なりのビューポイントがあるかも。
11月は菊花展と夜にライトアップもして楽しいです。料金はお気持ちで。
同心円状の構造だったのが、街の構造や地図からわかる。街のところどころに〇〇跡という案内板がある。
| 名前 |
田中城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse/19/1445918025035.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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田中城(静岡県)城主・山県昌景 🏯2026.6.21☀️日本で唯一の円郭式城郭のお城です。地形が丸く亀の甲羅みたいなので亀城とも呼ばれてます🐢城下町の地形や道路のカーブも確認できます。徳川家康が鷹狩りの際に立ち寄った際に食べた鯛の天ぷらが死因という説があります🐟「ここで家康が最後の鷹狩りを楽しんだ」と想像しながら歩きました🦅①史跡田中城下屋敷↓②三日月堀 (丸馬出)↓③本丸跡(田中小学校周辺)↓④平島一の門跡↓④ 三の堀・土塁跡↓⑤ 大手二の門跡⭐️特徴⭐️・武田信玄が整備した城。* 山県昌景が城主を務めた。* 徳川家康が晩年に訪れ、「鯛の天ぷら」の逸話で知られる。