多田銀山で歴史を探る!
多田銀銅山悠久の館の特徴
銀銅山の歴史に触れられる貴重な展示室が魅力です。
近くの間歩跡の散策拠点として最適な場所です。
鉱物や歴史好きにはたまらない素晴らしい施設です。
この施設がない頃は、落ち着ける場所がなかったのですが、今は、ここを拠点に散策できます。今回は、館には寄りませんでした。館と道路を挟んだ史跡の広場で休憩しました(サイクリングの途中)。駐車場の他、自販機やトイレがあります。
素敵なところです。奥の方の台所間歩などは、入口だけの見学になります。
はじめは興味ありませんでしたが、映し出される映像から銀銅山の歴史に触れることができ、訪れてよかったと思いました。間歩に行く前に立ち寄り、説明を見ると、見るポイントなどがよくわかり、なおよいと思います。なによりコロナ禍。夫婦で貸しきりでした。鉱物が混じった石の重さも体験できます。消毒も完備されています。兵庫県にはすばらしい遺跡があるのだなあ、と思うと共にまだまだ知らないところもあると思うので発掘していきたいと思いました。
多田銀銅の資料館で展示室があります。小規模だが、無料なので必ず訪れたい。
幼少の時から興味を持っていた多田銀山❗️🤔銀山の歴史ストーリーや周辺の間歩、採掘鉱石の種類や採掘方法や製錬方法❗️興味ある事柄が解る素晴らしい資料館です❗️出来れば砂金取りなどの体験もしていただきたいですねー❗️😎👍
悠久の館に車を止めて、瓢箪間歩まで歩いて散策しました。貴重な、歴史遺構を見ながら、いい運動になりました。
間歩跡は現在は立ち入り禁止になっている。銀を産出するようになり豊臣秀吉の直轄領となった。ただし1598年の豊臣氏への運上高は生野銀山には比べるべくもない量であった。このため関ヶ原の戦い以降も徳川家康は石見銀山および生野銀山のように天領としなかったといわれる。しかし、寛文年間に銀および銅の産出が急増するに至り銀山に代官所が置かれ、銀山村が形成され天領となり幕府の支配が強化された。その後産出高は次第に減少し、1840年高槻藩の預り所となり、1843年大坂代官所の支配となったが、1844年再び高槻藩の預り所となった。
青木間歩、はやく再開が楽しみです。
スタンドと自販機、それに綺麗なトイレがある。
名前 |
多田銀銅山悠久の館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-766-4800 |
住所 |
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HP |
https://www.town.inagawa.lg.jp/kosodate/seishounen/syougaigakusyuu/1417955802158.html |
評価 |
3.8 |
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興味ない人にはつまらないかもですが、少し鉱物をかじりたい人や歴史好きには良いです。ここ数年で展示物も少しずつ改良されており、リピートの価値あります。駐車場も無料なのでドライブついでに里山歩きするには最適✨