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名前 |
牧神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
大宅牧跡・宇土牧山跡所在地 宇土市網津町・長浜町概要「大宅牧」の起源は、古代律令制時代にまで遡る。『続日本紀』の記述によれば、 慶雲四 (七〇七年に宇土郡大宅郷に牧山が開かれ、貞観六 (八六四)年まで続いていたとされるが造営の正確な年代および規模や場所については不明である。また、中世には「千町牧」と称する広大さを誇ったと伝えられるが、正確な実態は判っていない。現在確認することができる牧(牧場)の遺構は、近世期に営まれたものである。 当時は「宇土牧山」と称された。江戸時代中期の「御鷹場・鉄砲傍示」絵図によると、網津・長浜両村の「牧山」を避ける鉄砲傍示の朱線が引いてある。鉄砲傍示の内側(内陸側)が御鷹場であり、傍示の内外一里 (約四キロメートル)は鉄 使用が禁止されている禁猟区、外側が牧山である。牧山の範囲は網津村で約一二〇町(約一二〇ヘクタール)、長浜村で約八〇町(約 八〇ヘクタール)、両町あわせて二〇〇町(約二〇〇ヘクタール)とかなりの規模であった。細川氏は、牧山の馬数を書き上げさせており、寛永一六(一六三九)年で五五頭、 めいじいしん しょうほう 正保四(一六四七)年で七九頭であった。明治維新後は官営とされたが、明治四(一 八七一)年に廃止された。牧山は、現在は山林となっているが、広い範囲にわたって堀や土塁が残っている。平成二三年三月宇土市教育委員会。