安山鋳物師の宝篋印塔。
青銅塔の特徴
宝篋印塔の形式を持つ供養塔で、歴史的価値が高いです。
安山鋳物師の代表作として、見応えのある造形美があります。
聖福寺の梵鐘を手がけた技術者の作品として特別な位置付けです。
聖福寺の梵鐘も作った安山鋳物師の現存の代表作です。電停から起伏があって行きづらい場所ですが、見応えがあります。
この塔は宝篋印塔の形式の供養塔である。享保6年(1721)閏7月夜半大雷雨、大洪水があり、溺死者・流失家屋・破損家屋・流失した橋等多数にのぼる大災害があった。この時当地に滞在していた下野国(現在の栃木県鹿沼村の一部)安蘇郡粕尾村出身の木食僧観心が発願主となり、今紺屋町(現在の長崎市魚の町・麹屋町・諏訪町の一部)・中紺屋町(現在の長崎市魚の町・麹屋町・諏訪町の一部)の町民が援助して財を募り、8月6日この塔1基を建て死者の冥福を祈った。鋳造は、鍛冶屋町住の鋳物師安山弥兵衛尉国久である。歴代安山氏中最も業績があった鋳造家であり、安山家の最盛期の作品であると考えられる。露天に建立された青銅製宝篋印塔は全国的にも珍しく、長崎鋳物師の業績として高く評価されてよい。長崎市HPより。
| 名前 |
青銅塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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『この塔は宝篋印塔の形式の供養塔です。亨保6(1721)年7月夜半大雷雨、大洪水があり、溺死者・流失家屋等多数にのぼる大災害がありました。この時、当地に滞在していた下野国安蘇郡粕尾村出身の木食僧観心が発願主となり、今紺屋町・中紺屋町の町民が援助して財を募り、8月6日この塔1基を建て死者の冥福を祈りました。鋳造は,鍛冶屋町住の鋳物師安山弥兵衛尉国久です。歴代安山氏中最も業績があった鋳造家であり、安山家の最盛期の作品であると考えられています。露天に建立された青銅製宝篋印塔は全国的にも珍しく、長崎鋳物師の業績として高く評価されている貴重なものです。』(ながさき旅ネットより)スゴ腕の鋳物師が長崎にはいたんだニャ〜