桜舞う重岡キリシタン墓。
重岡キリシタン墓の特徴
重岡キリシタン墓は凝灰岩でできた、県下最大のキリシタン墓です。
平成34年3月20日に県指定史跡として認定された歴史的な場所です。
桜がとても美しく、訪れる価値のあるスポットになっています。
入口は消防車の車庫の向かい側。看板がありますが道路から見にくい場所に出てますので気を付けてみていないと見過ごします。看板から100mと表示がありますが実際は6~70mくらいだと思います。けっこうな急階段が途中にあります。墓石は大きく、若くして亡くなったであろう女性がなぜこのような立派な墓石に葬られることになったのか興味のわくところです。この墓石の第一発見者は見つけた時、驚いて一旦埋め戻したらしいですがこれが地中から出てきたら確かに怖かったでしょう。
表示の写真が違いますね。これは八匹原公園から見下ろした桜の写真です。大分銘菓のざびえるを製造しているさびえる本舗(旧長久堂)の別の商品で、「るいさ」というお菓子がありますが、この重岡キリシタン墓の墓碑に刻まれた「るいさ」さんをイメージして作られたお菓子との話です。ときどき、長崎県などからバスに乗ってキリスト教徒が巡礼に来て讃美歌を歌ってお祈りをして帰るほど有名なお墓です。
ザビエルのCMのルイサを見て!検索したら佐伯市宇目町に有ると解りました。かなり(´д`|||)わかりにくい場所です。消防の車庫の向かい側に道が有るので目印に、して下さい(^o^)v
重岡キリシタン墓凝灰岩でできた県下で最大のキリシタン墓で、県指定史跡、昭和34年3月20日指定。近くの消防団機庫から丘を約100m登るとたどり着く。この墓碑は凝灰岩の平型の伏墓で、長さ180cm、幅86cm、高さは軸部で27cm、両端は22cmという巨大なもので、上部の後部よりには直径30cmの円の中に花十字が刻まれ、正面軸部中央部に「るいさ」という洗礼名、その左右に「元和五年」(1619年)、「五月廿二日」という没年月日が陰刻されている。豊後には多数のキリシタン墓が残存しているが、この墓碑のようにあざやかな花十字、洗礼名、没年月日のそろっているものはないと思われる。又、大きさも県下で最大であると共に、長崎県下にあるキリシタン墓碑の多くをはるかにしのいでいる。この墓碑はもともと地上にあったが、幕府のキリシタン禁教令布告後、弾圧が強化され迫害が激しくなったので、一族の者がキリシタンであることが発覚するのを恐れて地中深く埋めたようである。竹田市(岡藩)は天正年間にキリシタンであった志賀親次が領主であり、宇目郷にはその祖父親守が居住しており関係深かったことから宇目郷にキリシタンがいたとしても不思議ではない。(宇目町誌から要約)
桜がすごくきれいでね。
あんまり行くところではない。
名前 |
重岡キリシタン墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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重岡キリシタン墓(しげおかキリシタンはか)は、大分県佐伯市宇目大字重岡にあるキリシタンの墓碑です。一般には、墓碑に刻まれた洗礼名から「るいさの墓」としても知られています。◉特徴県下最大級のキリシタン墓: 凝灰岩製の平型で、長さ180cm、幅86cmと非常に大きいのが特徴です。日輪十字章と洗礼名: 墓碑の上面後部には日輪十字章が、正面には「るいさ」という名前と没年月日である「元和五年」(1619年)の文字が刻まれています。発見の経緯: 大正初期に杉の植樹をしていた渡辺家当主が偶然発見しましたが、祟りを恐れて埋め戻されました。その後、1956年に渡辺由忠氏によって再び掘り起こされ、世に知られるようになりました。◉「るいさ」について墓碑に刻まれた「るいさ」は洗礼名と考えられ、おそらく「ルイザ(Luisa)」であろうと言われています。没年の元和5年(1619年)は、長崎の「元和の大殉教」と同じ年です。「るいさ」の出身地である岡藩(現在の大分県豊後大野市周辺)は、16世紀末にキリシタン領主・志賀親次の保護のもとでキリスト教が栄えた地であり、彼女もそうした環境で育った可能性が高いとされています。