徳川家康の忠臣 鳥居元忠公を祀る精忠神社。
精忠神社の特徴
鳥居元忠を祭った神社で、戦国武将の歴史を体感できます。
壬生城跡に位置し、長い参道を通る厳かな雰囲気が魅力です。
畳塚の碑が本殿後ろにあり、独特の文化を感じられます。
壬生城の東北隅に位置し、徳川家康の家臣・鳥居元忠を祀る神社『精忠神社』です。また神社拝殿の北には、関ヶ原の戦い前に元忠が西軍を伏見城で迎え撃ち、籠城の末に討ち死(自刃したとの説あり)した時に血に染まった畳(江戸時代を通じて江戸城伏見櫓で大切に保管されていた)が埋納されている『畳塚』もあります。精忠神社と畳塚が本日一番楽しみにしていた訪問地でした。精忠神社は1712年(正徳2年)に創建され、1799年(寛政11年)6月22日に精忠神社の社号を光格天皇の神祇官から賜っています。祭神の鳥居元忠は、1600年8月26日(慶長5年7月18日)、関ヶ原の戦いに先立ち、鳥居元忠は伏見城を守って石田三成方と戦いました。守る側が2千人強だったのに対し、攻め手は4万とも言われています。鳥居元忠は石田三成の降伏勧告を断り戦い続けますが、13日もの激闘の末に落城。鳥居元忠は討ち取られました(自刃したとな説あり)。徳川家康は元忠の忠義に報いるため、一時は山形藩24万石にまで加増。後に子孫が不祥事を起こしても、元忠の勲功を考慮し、特例として減封で許したりもしています。また、伏見城の血染め畳を江戸城の伏見櫓におき、登城する諸大名の頭上に掲げました。
2023年9月16日に初めて訪れました。駐車場は近くの壬生町城址公園駐車場に停めて行きました。祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした武将。徳川家康の命を受け伏見城の主将としていて、元忠が自害した血染めの畳を埋めた「畳塚」が裏手にあり、それほど大きいわけではありませんが、静かで雰囲気も良く落ち着く感じでした。
1712年に国替えにより壬生に移った鳥居家の壬生初代藩主、鳥居忠英(ただてる)が徳川家康の忠臣にて鳥居氏の祖、鳥居元忠を祀った神社。神社の裏手には元忠が伏見城を守るため、奮闘の末自刃した際にその血で染まった畳をこの地に納めたと伝わる『畳塚』の記念碑が建立されています。数々の功績を残した忠英公ですが、私が一番気に入ったエピソードは栃木名産「かんぴょう」の話です。由来は、1712年に「鳥居忠英」公が、近江国から着任した際、領内に産物が乏しく貧しい領民の暮らしを救うため前任地よりユウガオの種を取り寄せ「かんぴょう」を伝えたことが始まりとされているそうです。それ以来、壬生町はかんぴょうの一大産地として現在に至っているそう。地元の方にいい話をうかがいました。
徳川家康が登場する戦国作品でよく登場する忠臣鳥居元忠を祭った神社です。
鳥居公を祀る神社で、本殿後ろに「畳塚」の碑があります。御朱印は近くの雄琴神社で頂けます。たまたま氏子総代の方とお会いできて貴重なパンフレットを頂きました。
一の鳥居から長い参道を通ると厳かな神社が有ります、駐車場はありません。御朱印は雄琴神社で頂くことが出来ます。
「縁起良い神社なのかな~?」と、ちょっと参拝を迷った神社です。「徳川家康重臣、鳥居元忠が自刃した時の、血に染まった畳を埋めた場所」だったからです。が、「日光東照宮で徳川家康のお墓にも行ってるし…。」となり、訪れてみました。😀鳥居の後ろには立派な門‼️ちょっと変わってて、素敵です。😀境内に入ると、重々しい雰囲気に。鳥居元忠の話を前以て知ってるからだとは思います。拝殿、本殿も、煌びやかさは全く無い作りですが、かなり立派な拝殿、本殿です。重厚感が有り、かなりの迫力です。本殿後ろには「畳塚」が。ここに「血に染まった畳」が埋められているそうです。実際にその前に立つと、色んな感情が湧いてきて、ちょっと切なく…。(涙)帰りには、鳥居右側の「かんぴょうの像」を是非‼️重々しくなった雰囲気を和ませてくれますよ。良い意味で笑え、ほんわかした気分で帰れます。🤗(壬生町はかんぴょうで有名なんですよ)ちなみに御朱印ですが、同じ壬生町の「雄琴神社」で頂けます。😀(3年12月7日)
◆徳川家康とともに活躍した鳥居元忠公を祀った神社。一番奥には「畳塚」がある。大手門通りから城址公園の隣に、長~い参道を歩いてたどり着く。駐車場🅿️は城址公園を利用するとよい。近くに立派な蔵や大樹もあったので、合わせて撮影📷した。2021年10月11日(月)に壬生町の街歩きで訪れた。以下は案内板の内容●精忠神社(せいちゅうじんじゃ)〈祭神〉 精忠霊神(鳥居彦右衛門元忠公)〈祭日〉九月七日前夜祭九月八日 本祭(元は戦死日、旧暦八月一日)〈由緒〉正徳二年(一七〇二年) それまでの城主加藤氏は近江国水口へ 同所から鳥居氏が壬生藩へと国替えとなった。鳥居忠英は壬生城内東北の隅に、その祖鳥居彦右衛門を 寛政十一年(一七九九年)神祇管領吉田家より「精忠霊神」の神を受ける。嘉永二年(一八四九年)現在の地に遷し社殿を改める。 祭神鳥居元忠公は徳川家康の命を受け伏見城の主将として 慶長五年(一六〇〇年)軍の城攻めを死守し自刃した。 関ヶ原の戦いの前哨戦であった。その後、徳川の世となると元忠公の戦功を徳川家は嘉し、長男忠を城で十万石のち山形で二十四万石を遇された。尚、鳥居家は忠英より七代、明治維新まで壬生城主を務めた。壬生鳥居氏 高【三万石】 実高【四万八千石】
鳥居元忠が祀られている神社です。いつか、行ってみたいと思っていた場所です。(^^)行けて嬉しい🎶あの、徳川家康とは一心同体で、関ヶ原合戦が始まる前に伏見城で華々しく散り忠義を貫いた三河武士の人です。後に、関ヶ原の戦いを制した徳川家康は、その血染めの畳を鳥居元忠の忠義を称える形で、江戸城の伏見櫓の階上に設置した。明治維新で、勝海舟と西郷隆盛により江戸城明け渡しとなった際、その畳は栃木県下都賀郡壬生町の精忠神社脇に埋められて供養されているそうです。また、血染めの床板は「血天井」として京都市の養源院をはじめ、宝泉院、正伝寺、源光庵、宇治市の興聖寺の天井に用いられ、現在も垣間見る事ができるそうで一度は見てみたい。
| 名前 |
精忠神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75712 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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綺麗にされていて良いです‼️御朱印は雄琴神社で貰えます!