岩殿山から望む富士の絶景。
岩殿城跡の特徴
武田家ゆかりの小山田氏が築城した歴史ある城跡です。
畑倉ルートからの登城は眺望が素晴らしく、多くの登山者に人気です。
岩殿山からは大月市街と富士山の絶景が楽しめます。
岩殿城(いわど(と)のじょう,山梨県大月市)県史跡,連格式山城,武田の三堅城の一つ,標高634m,比高260m別名 岩殿山城南から巨大一枚岩の下を抜けて西側を登る強瀬(こわぜ)ルートでは登れませんでしたが,北側から回り込んで登る畑倉ルートから登ることができました.強瀬ルートの上から巨大一枚岩の横までは行けたので城として大事なところはおおよそ見学できました.写真の順としては南下から登ったように並べました.眺めの良い城の中でも,ここまでの標高差を眼下に見ることは少ないと思いました.岩殿城の歴史について触れると,岩殿山は9世紀の初めに,天台宗岩殿山円通寺(いわとのさんえんつうじ)として開創されたと云われる.10世紀のはじめには三重塔,観音堂,僧房その他の建物が並び,門前町を形成した.戦国時代,大永7(1527)年,小山田信有は岩殿山山頂に岩殿城を築城した.武田,小山田両氏の支配地を,武蔵,相模に備える拠点の城とされた.武田信玄の頃には,武田24将の一人に連ねる小山田信茂が城主であった.信玄亡き後,天正3(1575)年,長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は急速にその勢力が衰え,天正10(1582)年ついに織田軍は甲斐に迫った.敗走した勝頼は,守りを強化した新府城へ戻ったが,その時の勝頼の従者はわずか千人程度であり,広大な新府城では,籠城もできないため,新府城に火を放ってさらに敗走した.後から創作された話のようだが,真田昌幸は,岩櫃城に,小山田信茂は,岩殿城に勝頼を招こうとし,勝頼は新参者の真田よりも小山田を信用し,岩殿城を目指したが,3月11日に笹子峠で信茂が織田方に寝返ったことが知られ,勝頼は,北の天目山・栖雲寺に向け移動中に滝川一益の軍に追いつかれ,田野付近で自刃し甲斐武田氏は滅亡した.その後,小山田信茂は織田信長に付こうとしたが,主を裏切った不忠者として処刑された.同年の本能寺の変の混乱で,一時,岩殿城には北条氏が入った.1590(天正18)年の小田原攻めにより,徳川家康が関東に転封されると,甲斐は徳川領になり,岩殿城には城番が置かれた.江戸時代に入っても,家康は幕府の緊急事態の際に甲府への退路を想定し,岩殿城の機能を保たせた.
冬の穏やかな日に登りました。秀麗富嶽十ニ景のひとつだそうで本当に見事な富士山を眺められました。山城跡には今迄何ヵ所か訪れてますが、目眩がするほど急峻な断崖は初めてです。麓から見上げるだけでは判りませんから息を切らして登ったかいがありました。
畑倉登山口(駐車場スペースあり)からけっこうな急坂を約40分登ると本丸跡に着きます。登山口からすぐ鬼の岩屋があります。本丸から富士山がきれいに見えます。本丸跡から少し下ると馬場跡、馬屋跡と帯郭、物見台、揚城戸(城門跡)があります。揚城戸は岩と岩にはさまれ堅牢です!全方向、急斜面でここは攻め落とせないと思いました。登山道は滑るのでトレッキングシューズがいいです。上にトイレはありません。強瀬口は落石で登れません。
「三カ所にある物見台を総合した本陣で防衛や進攻の指令を発した。」とされているようです。あたりは開けた空間が広がってます。夏場は木々が生い茂っており富士山方向は見えませんでした。少し離れたところに大月駅や大月市内を見下ろせるスポットがあります。
大手からの登城はルートの落石のため通行止め。搦手からの登山ルートのみ通行可。こちらは登城のとっかかりの窟(これは一見の価値があります)以外本丸まで遺構無い。山頂の城域は遺構良く残り、特に大手の揚城戸は迫力。必見です。
他の人が、書かれている通り2022.05.04現在も畑倉登山口からしか頂上に行けません。登山口へは、バス時刻表に合わせて行くか、大月駅から35分歩いて行くかです。城跡だけ見るつもりでしたが稚児落としまで、登って来ました。尾根伝いを歩き、鎖場を昇り降りしてると登山してる気になりますね。
2021年5月現在、岩殿山を登るルートは西側からの浅利ルートと北側からの畑倉ルートがあります。丸山公園からの強瀬ルートは通行止めとなっています。山頂には畑倉ルートから行き、30分くらいかかりました。木漏れ日が射して明るく見通せる道でしたが、くねくねと曲がった上り坂は慣れていないせいか苦労しました。山頂付近では滑りやすくなっており、鎖に掴まり登りました。帰りの下り坂は比較的楽でしたが、滑りやすく、2回尻もちをつきました。山頂にはテレビ塔くらいしかありませんでしたが、少し下ると記念碑とベンチがあり、そこでは大月の町を一望できます。遠くにはリニアモーターカーの施設も見え、晴れて空気が澄んでいれば富士山もはっきりと見えます。登るのは大変ですが、景色は素晴らしく、良い思い出になると思います。
山頂からの眺め、富士山🗻バッチリです。
山頂からの絶壁感は、半端ないです。この城は落とせませんね。なかなかの、登りでした。普通の運動靴だと下山時に細かい石で滑るので、ある程度グリップの効く靴を履いた方が良いと思います。
名前 |
岩殿城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.pref.yamanashi.jp/damu-fk/otsukicentralpart.html |
評価 |
4.0 |
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大月での乗り継ぎに降り立ったときホームに案内板がありあそこかと。改札を出て観光案内所があったのでお聞きすると麓の資料館のような場所まで駅から徒歩15分、ただそちら側からだと山頂アタックは出来ず、大きく反対側へ回り込むのに60分以上歩き、山頂までは急登で本格的な登山ですとのこと。そんな場所に城を築くとは想像を絶します。行かれる際には装備を整えてからどうぞ。