壬生城の歴史を感じる常楽寺。
曹洞宗 常楽寺の特徴
壬生鳥居様のお墓があり、歴史を感じるお寺です。
壬生城址のお墓があり、由緒ある曹洞宗のお寺です。
常楽寺は資料館もあり、訪れる価値の高いスポットです。
住職も奥様も、働き者です!お寺は段々に良くなって、きてます!素敵な、お寺です!
壬生鳥居様のお墓があり有名です。
壬生旧市街地にある常楽寺です。入り口のゾウさんとてもいい感じでした。
山門を改修中だったようで、貴重なものが見れた気がします。御朱印を頂戴しました。
「四季桜」が美しい曹洞宗 向陽山 常楽寺。壬生城主壬生家・鳥居家の菩提寺。2021年10月11日(月)に壬生町の街歩きで訪れた。「壬生町観光協会」の案内板には以下の記載。①常楽寺の創建室町時代 1462年。最初の壬生城主 「壬生胤業公」 (?-1500頃)は当時の高僧「一州正伊和尚」 (1416-1487) をお招きして、 壬生氏の菩提所として常楽寺を建立致しました。②壬生町と常楽寺の興隆-江戸時代 1712年。生の城主となった 「鳥居忠英公」 (1665-1716) は常楽寺を菩提寺と定め墓 所を設けました。 忠英公は壬生の殖産にも学問にも力を入れ壬生藩を発展させ ました。その頃、 黒川を使って江戸と交易していた加藤家の「二代目加藤作太 夫氏」 (1721-1807) が寄進した大きな 「涅槃図」 (1751寄進)に当時の城下町壬 生の豊かさが伝わっています。③ 常楽寺の本堂再建と蘭学の導入-幕末 1850年。幕末の藩主 「鳥居忠挙公」 (1815-1857) は先見の明をもって壬生藩に蘭学や 砲術などの西洋の技術を導入しました。 蘭学医の齋藤玄昌氏 (1809-1872) は人 体解剖 (1840) や天然痘の予防接種 (1850) など大きく活躍します。 ちょうどその頃、 今に伝わる常楽寺の本堂が再建 (1850) されました。向陽山 常楽寺は禅宗 「曹洞宗」 の寺院です。 壬生城主壬生家・鳥居家の菩提寺であり、 御典医 斎藤玄昌氏や、 高杉晋作との試合に名を残す壬生藩剣術師範 松本五郎兵衛氏の墓所等が境内に所在しま す。 壬生城に隣接し古の風情を今にとどめ、また鳥居家の文書類など多くの歴史資料を護持しています。また、石碑には以下のように記されている。●壬生城主 壬生家・鳥居家 菩提所壬生の古刹 向陽山 常楽寺当寺は、室町中期寛正三年(西暦一四六二年)壬生初代城主壬生筑後守農業公が、寺領二十六石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、 壬生氏一門の氏寺として栄えました。 一五九〇年に壬生氏が絶えて後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、一七一二年に壬生城主となった鳥居忠英公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺としてく護持されてまいりました。現在の本堂は、一八二〇年に火災に見舞われて後、一八五〇年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍です。 長い歴史のある寺院に相応しく、「鳥居忠英公」の肖像画や文書類の歴史的資料、壬生家歴代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学医「斎藤玄昌」一門の墓地等の史跡、境内鎮守の三日月尊天と壬生の豪商加藤作太夫の逸話など、様々な事物が今に伝わっております。 また、一七三八年、二十世光海本瑞和尚の時、京の陶工尾形乾山が来寺して作歌作陶致しました。 これは京都壬生氏出身の具慶の庵を訪ねての事で、一ヶ月半程滞在致しました。壬生町観光協会。
とても由緒ある曹洞宗お寺です。真夏の本堂は蒸し風呂です。避けましょう。
れんらくされたし。
壬生町の史跡です。壬生氏や鳥居氏の菩提寺で、曹洞宗一州正伊派下の寺院です。
壬生家、鳥居家の墓があります。
| 名前 |
曹洞宗 常楽寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0282-82-0225 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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とても広く隅々まで綺麗に手入れされている寺院でした。山門前に立ちふさがる(?)象が可愛かったです。