寺部城址で歴史探索を!
寺部城址の特徴
15世紀に造られた寺部城址は、礎石と井戸が残っている貴重な遺構です。
豊田市指定史跡で、渡辺守綱が入城した歴史ある場所です。
遊佐家長屋門の近くに大きないちょうの木があり、訪れる価値があります。
遊佐家長屋門の近く、石碑の直ぐ横に随分大きないちょうの木が有ります🐰城(陣屋)跡地は結構広いです🙊
豊田市指定史跡寺部城跡慶長15年(1610)江戸時代の旗本で尾張藩付家老「槍半蔵」こと渡辺守綱が1万4000石で入城し陣屋を築き支配しました。以後明治まで渡辺氏が統治し現在の城址には守綱神社があります。神社の北にある寺部城址の森公園には土塁や礎石の一部が残され城跡碑や案内板が建てられています。【歴史】築城は15世紀後半に鈴木重時によって築かれたのが始まりとされます。鈴木氏は寺部城を拠点とし、今川氏が三河に侵攻すると従属します。その後織田家に寝返った為、当時今川の人質として支配下にあった松平元康(のちの徳川家康)が攻めてきます。松平元康17歳、永禄元年(1558)これが元康の初陣とされる寺部城の戦いです。
説明が無くて遺構が全然わからなかった。
まむしに注意とか掲示があり、手入れをしないと子供とか遊ばせばせられないです。大切な旧跡の割にはぞんざいな扱いになっている気がします。中にはいると蚊がたくさん寄って来て、立ち止まる事もできません。徳川家の有名な家臣の居城跡で、由来も丁寧に記されています。全体的にもう少し手入れをされた方が良いかもしれません。
寺部城とその近隣の城は松平元康の初陣の場となった地域。寺部城:文明年中(1469-1487)、鈴木重時により築城。永禄元年(1558)、寺部城主の鈴木氏は今川側から離反し織田側に服属。それにより今川義元は駿府の松平元康(徳川家康)に寺部城攻めを命じた。寺部攻めが元康にとって初陣。慶長15年(1618)より渡辺半蔵守綱寺部を統治。
立派な遺構です。土蔵の礎と井戸の跡が残っています。
子どもの頃から、よく行きました。確か、徳川家康の、初陣の場所ではなかったでしたか?昔は、不気味な雰囲気でしたが、今は、整備されて、明るくキレイになりました。
名前 |
寺部城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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15世紀に造られた城で今は建屋は存在せず礎石と井戸のみの城址です。矢作川から近いので水は豊富に出たと思われます。