木曽御嶽山の聖地、普寛上人。
普寛霊場の特徴
幅広い信者が訪れる、普寛行者を祀る霊場です。
全国から集まる信者が参加する春・秋の大祭が行われています。
彫刻の見応えがあり、神秘的な雰囲気を醸し出す聖地です。
木曽御嶽山開山の普寛上人の墓所です。御朱印はお断り、との事です。
普寛霊場は木曽御嶽山の王滝口を開いた普寛上人のお墓がある霊場です。お墓は外からは見えません。説明板には本庄市指定史跡普寛上人の墓(本名浅見好八で享保十六年の生まれで最初は剣道で酒井候に仕えたが、後に天台の修験者になり木曽御嶽山や武尊山、越後八海山など修行し山を開いた。木曽御嶽山の王滝口からの修験道は普寛上人により開かれた。享和元年に本庄で亡くなり安養寺に葬られたが、大正時代に道路改修より墓と霊場は現在の地に移された。)
見どころも多いし、ストーリーも良い。玉垣には火消し関係者や吉原遊郭の大店などの寄進者の名前が見える。竜の彫り物も迫力があって見事だ。
御嶽山王滝口を開いた大行者🌺普寛さま💖もっと地元の方々は御嶽山王滝口を開いた普寛さまの偉業を学ぶべき🌻
国登録有形文化財賀美橋と駅前の観光案内板にあったので、小さな小川を渡り歩けど辿り着かす。自転車の男性に聞く、通り過ぎた小川の橋とのことでガッカリ。駅方面に戻る途中に阿夫利神社があったが、気力が萎えていた。並ぶ様に普寛霊場とあり、鳥居があるのに霊場とは如何にと石段を登る。江戸町火消しの名前入りの石柱や、消防関係の石碑が建ち並ぶ。木曽の御嶽山信仰の神道系の霊場だった。学生時代に木曽の宿場町を放浪したこともあり、懐かしさも手伝いお詣りをさせて頂いた。
密教御嶽教の開祖である普寛上人の墓があるのが普寛霊場です。資料によると、享和元年(1801年)に特に縁を求めて本庄宿にとどまったが、同年9月に病没し、安養院に葬られた。現在の霊場は、大正11年(1922年)に安養院境内より移されたものである。大祭では境内で各種秘法・秘術、火渡り・刃渡りなどの修験者の荒行が行われる。とあります。
木曽御嶽山王滝を開闢した普寛行者様、聖地です。
御嶽教直轄霊場木曽御嶽山開闢、御嶽行法始祖普寛行者を祀る御嶽山信仰の聖地歴代堂主は御嶽教管長に匹敵する有力な御嶽行者が務める現在の堂主は第十四代本正院寛心先生。
神仏融合?のちょっと変わった所ですが、古い時代から、修験道と仏教、神道が融合しているのが日本人の宗教観ですから違和感は無いです。
| 名前 |
普寛霊場 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0495-22-4451 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
普寛霊場とは、江戸中期に秩父に生まれて行者となり、厳しい幾多の修行を重ね、遂に修験道の奥義を極めた人で、上州武尊山や木曽御嶽山、越後八海山の登山道を開き、御嶽講の祖と崇められている普寛行者(別称木食上人)の奥都城(墓)がある場所で、市の史跡になっている。ちなみに普寛行者は本庄宿で享年71歳で入寂している。拝殿は入母屋造り千鳥破風、唐破風向拝付きで、向拝周りの彫刻が素晴らしく、とりわけ向拝天井の龍は、思わずツバをゴクリと呑むほど迫力があり、非の打ち所なし…。2026/1/29