山国町の英雄、六助の墓へ!
毛谷村六助墓の特徴
山国町の伝説的な英雄、毛谷村六助の跡地です。
豊臣秀吉御前相撲にまつわる歴史的なスポットです。
力持ちで心優しい人物を偲ぶ特別な場所です。
このお墓を見た時の感想は……やっとここに来ることが出来た。といったものです。私は先にお菊さんとお園さんのお墓に行っていました。⬆️英彦山を散策していると割と目につく位置にあります。なので、六助さんのお墓に行けたというのは物凄く嬉しいものでした。ここまでは個人的な感想です。ここからは情報です。トイレは駐車場にあります。駐車場スペースは充分すぎるくらいあります。足場も悪くなく、駐車場からは近いです。
「彦山権現誓助劍」と言う芝居が好きで、毛谷村の六助の墓があると聞き伺いました。場所がすぐにわかり、駐車場も整備されてお手洗いも完備してました。水の流れと野鳥のさえずりが心地よい場所でした。
山国町を代表する伝説的な人物です💡力持ちで心の優しい人だったようです‼️写真は、豊臣秀吉御前相撲の取り組みと戦歴です。にわかに信じがたいですが、その当時有名な武将とも戦っています。ここで語るより、少し上の資料館で、六助を愛し惚れこみ山国町の毛屋村六助の故郷に住み着いた館長にお話を聞いてもらっていただきたいです💡
山国町の英雄、毛谷村六助の墓。山国町というか英彦山周辺地域の英雄です。『彦山権現誓助剱』という浄瑠璃や歌舞伎の演目にもなっている人物です。秀吉が天下統一の為、九州に来た時に、秀吉の配下の家臣30人以上と相撲を取り、あと2人というところまで勝ち進んだ彦山権現の申し子。倒した相手は、塙団右衛門、母里太兵衛、可児才蔵、桂市兵衛など日本の伝説級の武将。負けた相手は、加藤清正の家臣木村又蔵で、加藤清正の家臣となり貴田孫兵衛統治と改名しました。初陣の地は、添田町岩石城。そこで。芥田惡六兵衛と一騎打ちで討ち取る。英彦山には、六助が使ったといわれる火縄銃や鉄の棍棒が保管されてある。謎の多い人物ですが、九州や山口県に縁地があります。残っている話が、面白いものばかりです。
名前 |
毛谷村六助墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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墓参させていただきました、国道から集落へ大分上がりますが専用無料駐車場も有りました。ありがとうございました。