狭い入口から広がる神社の奥深さ。
石井神社(柏崎市西本町)の特徴
創祀1300年を超える由緒ある神社です。
狭い入り口を通り抜けると広い境内が待っています。
柏崎市西本町に存在する歴史深い神社です。
イワイジンジャ。冬季間は囲いもありますが、由緒ある厳粛な雰囲気はそのままです。
狛犬指数3.2。典型的な出雲型と備前焼の狛犬がいます。神社は由緒ありげなそれ。備前焼の狛犬は新潟市の白山神社のものと同じ窯元によるものか?
石井(いわい)神社は柏崎市西本町の創祀(そうき)1300年を超える由緒ある神社です。境内で柏崎市で初めてテレビを映し出した場所です。その様子が社務所に残っています。
入り口は狭いですが、奥に向かって行くと境内が広がっています。訪問した時は、七分咲きくらいの桜が出迎えてくれました。入口の神社石柱銘は「延喜式内石井神社」とあり、横には「正二位勲一等子爵榎本武揚書」とあり、榎本武揚との関係が気になった所です。石井神社 中町(白川風土記)社地 東西十四間余 南北二十七間町より北の方に在り、総町の鎮守にして住吉明神を祀る、初め、人皇四十代浄御原天皇の朝、慶雲二年威奈鏡公の三男猪名の真人大村、当国の司として下向の時、北狄征伐鎮護の為、三島の浦鵜川佐橋川の間、水門口に綿津見宮住吉明神を勧請すと云う、延暦年間迄水門口にありしが、地震洪水にて社埋没して今の石井崗に遷座あり、則延喜式にある三島郡石井神社是なり、其旧地、海上鳥井懸りと云う所に石の鳥居あり、今も此所は漁舟を止れば災あり、月次六十度納弊の神事あり、祭日三月二十一日なり。
| 名前 |
石井神社(柏崎市西本町) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0257-22-3805 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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石井神社(いわいじんじゃ)。新潟県柏崎市西本町。式内社(小)論社、旧社格不明。【祭神】上筒男命 中筒男命 底筒男命 (合祀)息長帶姫命資料によると、創祀年代は不詳。越後国の国司として中央より派遣された貴族である猪名真人大村卿(いなまのひと)が、大阪市住吉の住吉大明神を柏崎の地に奉遷したのが始まり。飛鳥時代末期の慶雲2年(705年)、北夷征討鎮護の祈願を行い、翌慶雲3年(706年)には大干ばつに対して、雨乞い祈願が行われ、霊験あらたかだったという。奈良時代後期の宝亀9年(778年)、勅令により大祓が執行された。延暦8年(789年)、強震により社地陥没し、翌年、石井の岡と呼ばれた現在地に遷座した。創立の際は住吉大明神と称したが、石井の岡に遷座したことにより、地名にちなみ、現社号が定着するようになった。式内社「石井神社」の論社は他に、市内の西山町石地と北条、長岡市上岩井、出雲崎町石井町に当社および式内同名神社がある。また、越後国には沼垂郡にも同名の式内社があり、新発田市五十公野の当社および式内同名神社が比定されている。平安時代初期の延暦12年(793年)、坂上田村麻呂が東夷征討の途次、特に参篭して凶賊の殲滅を祈り、祈願文を奉納した。以来、武将の参拝が特に多く、戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)には上杉謙信が佐渡征伐の途次、海上守護を当社に祈願、奉幣し、木製の獅子一対を奉納した。平安初期の改称に関わらず、やはり一般には住吉神社と呼ばれたようだが、江戸時代前期の寛永11年(1634年)、吉田家の許可を得て、現社号に改めて改称した。江戸時代中期の宝暦元年(1751年)4月、社殿が類焼し、ほとんどの文物が焼失したが、謙信奉納の獅子一対は残った。江戸時代後期の文政7年(1824年)4月、再び社殿が炎上した。明治13年(1880年)8月、三度炎上した。この時は町の半数が罹災する大規模な火災で、酢屋火事と呼ばれた。明治16年(1883年)4月、用材は桧材とし、屋根は銅板葺きとして造営が行われ、同年中に竣工した。昭和30年(1955年)9月18日、1250年祭が執行された。慶雲2年を創立としているようだ。平成17年(2005年)には1300年祭が行われた。御祭神は、底筒男命・中筒男命・上筒男命の住吉三神で、息長帯姫尊が配祀されている。例祭は4月15日。当社には特有の輪くぐりの神事が伝わるが、古式のもの。とあります。