深い緑に囲まれた歴史の神社。
児子神社(兒子神社)の特徴
10世紀創建の趣深い神社で、歴史の重みを感じる場所です。
深い緑に囲まれ、海辺近くの静かな環境が魅力です。
御祭神に万寿冠者を祀り、独自の信仰が息づいています。
深い緑に囲まれた美しい神社です。周囲の風景も含めてタイムスリップしたような昔の日本を感じる風情があります。
山木館を襲撃し平氏討伐の挙兵をした源頼朝公ですが、次の戦いである石橋山の戦いで大庭景近と伊東祐親の軍に挟撃され敗戦してしまいます。湯河原辺りの山中を逃げまわります。土肥実平の手引きにより、源頼朝公一行はこの真鶴の岩海岸から安房へ向けて船出できるようになりました。土肥実平の子 土肥遠平は、源頼朝公に石橋山の戦いで背後から攻め立てた伊東祐親の次女・万劫と結婚して、万寿冠者が生まれていました。土肥実平は、敵となった伊東祐親の娘から生まれた万寿を切り捨て、また、内通を疑って息子の土肥遠平も安房への船からも降ろしてしまいます。土肥遠平は、和田義盛が仕立てた別の船で安房に行くことはできましたが、その子 万寿は安房への船には乗ることができず、万寿が、両親が源氏と平氏に別れてしまったことを嘆き、海に身を投げたと伝わっており、その万寿の死を憐れんだ村人は万寿を児子神社に祀ったのだと伝えられているそうです。その後、源頼朝公を安房に逃がした土肥実平ですが、土肥遠平の息子の代に、安房へ一緒に船で逃れた和田義盛が起こした和田合戦で北条氏と戦って敗れてしまい、その後の相模では勢力を失ってしまっています。土肥実平の非情さがあれば、三浦氏と同様に血縁関係があっても和田氏を裏切っていたのではと考えてしまいます。岩の海岸を望む高い場所に、緑濃い境内と落ち着いた雰囲気の社殿を前にすると、ドロドロした思いは消え去ってしまいますが。。。
静かな場所にある神社です。
御祭神は惟喬親王山の裾 海辺の近く駐車場有り🍀民家に隣接廻りの風景に溶け込んでいる2018/06/15追記児子神社には土肥実平の幼孫u003d万寿冠者、の霊を氏神として祀っているらしい⁉️2018/09/15
名前 |
児子神社(兒子神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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10世紀創建とも伝わる由緒ある神社だそうです。祭神は惟喬親王(文徳天皇の第一皇子9世紀の人)とその御子とも、聖徳太子の幼児の像が祀られているとも。