明治19年の石造アーチ橋、癒しのひととき。
呉川眼鏡橋の特徴
明治19年に造られた仲哀隧道のための石橋です。
歴史的な工事資材を運ぶ役割を果たしました。
呉川眼鏡橋は重要な文化遺産となっています。
福岡県田川郡香春町にある呉川眼鏡橋は、明治19年(1886年)に建造された石造アーチ橋で、現在も生活道路として利用されています。この橋は、仲哀隧道の開通計画に伴い、掘削部材の運搬のために築かれたもので、広島の石工によって造られたと伝えられています。石材には珍しい花崗岩(御影石)が使用され、美しい弧を描くアーチが特徴的です。橋長は8.6メートル、幅員は4.2メートルで、アーチ部分の径間は6.3メートル、拱矢(アーチの高さ)は3.0メートルとなっています。平成12年(2000年)3月17日には、近くにある仲哀隧道とともに国の登録有形文化財に指定され、地元のシンボルとして親しまれています。橋のたもとには万葉歌碑があり、奈良時代に太宰府へ続く官道「田河道」の宿駅として栄えた香春の歴史を偲ぶことができます。周辺の豊かな自然とともに、歴史的な風景を楽しむことができるスポットです。
明治19年に造られた眼鏡橋だそうです。
穴が1つしかなく、全然眼鏡じゃない!って思いました。何故に眼鏡橋なんでしょうか。
仲哀隧道を開通させるための工事資材を運ぶために、明治19年に造られた石橋です。石橋近くには車を3~4台駐車できるスペースがあります。また、呉川眼鏡橋についての看板も立てられています。この橋から仲哀隧道までは、くねくねと曲がった道が続いており、七曲峠と呼ばれています。七曲峠は別名、仲哀峠と呼ばれていますが、これは仲哀天皇がここを通ったという伝説が残るからです。以下は、案内看板に書かれていた呉川眼鏡橋についての説明です。築造年代:明治19年特徴:橋長8.6m、幅員4.2mの石造単アーチ橋呉とはこの地をさす言葉で古くは呉姫の伝説からのその名が付きました。ここを流れる川を呉川と言い金辺川さらには彦山川と合流し遠賀川に注ぎます。呉川眼鏡橋は、仲哀隧道の開通計画に伴い、掘削部材運搬等のために築かれました。広島の石工によって造られたと伝えられ、石材には甘木市の秋月眼鏡橋と同じく花崗岩(御影石)が使われた珍しい道路橋です。アーチリブを構成するアーチ石は、がっちりと噛み合った切り石が丹念に組まれて美しい弧を描き、壁側、橋台にも均整がとれ、整然とした端正な姿の中にも力強い気品を備えています。明治期以前に造られた当時のままの石橋は、遠賀川水系では唯一であり、(筑穂町延壽橋に関しては、移築されている。)美しい眼鏡橋の姿を損なうことなく今日に至り、仲哀隧道とともに呉のシンボルとして地元で親しまれています。福岡県内に現存する石橋の数は、山間部などの人目に付きにくい箇所を覗いて、54基あります。このうち、筑後地方を中心とした県南部に50基が集中しています。県北では、遠賀川水系では2つと紫川水系で春吉眼鏡橋が現存するのみです。~北部九州における石橋に関する研究、九州共立大学研究報告第9号、1995~香春町・香春町教育委員会。
名前 |
呉川眼鏡橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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