地域を見守る五社八幡神社に訪問。
五社八幡神社の特徴
鳥居が印象的な、地域に根付いた神社です。
ご神木が安らぎを与える、周囲の人々に愛されています。
歴史深い仁徳天皇ゆかりの地に位置しています。
いつもこの地域を見守ってくださる大切な神様。
地域の、人々に、大事にされているようです。
仁徳天皇(仁徳の宇治天皇でなく、兄の大雀命天皇)の宮の後、推古天皇の難波高津宮の場所です。1400年前は行橋湾が大きく入り込んでいて、風光明媚だったと思います。
郷社 五社八幡神社 宮古郡椿市村大字入覚字カミ祭神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇、竹内宿禰由緒明治六年七月九日郷社に定めらる。社説に曰く、当神社の 濫觴は往古人皇第一代神武天皇即位十二年日向御巡幸の時、此地に就きて大元祭を行われ親ら大祖を祀らせ給ひ、大祖の座す北斗七星に象りて七箇所の森を起こし給ひしに因るものにして、古きものにも神武巡国痕跡為大行事修行大元祭大行事社七星祀七之起源也とありて、古老の伝に七つ森の最上位にある御神森に鎮祭せる妙見宮の里宮なりしと。其後人皇第十二代景行天皇十二年豊前国長峡県に下り給ひ、青龍窟の土蜘蛛を征伐し給ひし時、大元祭に倣ひ天照大御神を祭り給ひしこと古き縁起に、抑高郷入覚池田村の産土は往古大神宮を斎き奉るとあり。其の後人皇第十四代仲哀天皇の熊襲御征討の為筑紫に下給ひし時、下田村に後滞陣、妙見宮に参詣あらせられ戦労を祈願し給へり。人皇第三十七代斉明天皇七年五月、天皇豊前国上毛郡に下りまして斯除朝倉社黒木作木丸殿於山中又置苅草関然忿壊殿又見中田之大舎人及近侍病死者衆し、故に天皇此社前に幣を奉りて祈り給ひしと、古き縁起に記せるも亦大元祭に倣ひ給ひしなるべし。其の後応永の戦乱に此里宮も兵火に罹り焼亡せしを以て、産子の詣人等が八幡宮を宇佐より勧請し現今の地に社殿を建立して斎き奉りしが、寛文正徳に神殿を改築し、文政十一年又神殿を改築し、越えて十三年社殿を造営し、文久三年神殿の造営あり。天明八年小笠原備中守より三菱御紋寄附ありたり。昔は五社八宮と称せしが、明時六年七月九日郷社の格に定められ五社八幡神社と改称せられたり。明治四十一年四月寺内陸軍大臣より日露戦役戦捷祈願礼代に戦利品を献納ありたり。例祭日 四月二十八日神饌幣帛料供進指定 大正十一年七月六日主なる建造物本殿、幣殿、拝殿、回廊、神輿庫、浮殿主なる宝物縁起一巻、社名額一個、棟札三枚、先駆面二個、獅子頭一対、高麗狗一対、重籐弓一張境内坪数 二千八百七十坪氏子区域及戸数 百六戸境内神社菅原神社(菅原神) 貴船神社(高龗神)福岡県神社誌ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー福岡県豊前国宮古郡椿市村大字入覚郷社 五社八幡神社祭神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 仁徳天皇 竹内宿禰創立年代等未だ詳ならず、古老の口碑に曰く、当社はもと七つ森の麓、別所と云へる處の下に有りて、妙見社の里宮なり、天神五代の神々を祀りたるも、昔仲哀帝筑紫の熊襲御征討の時、御舟企救郡曾根沖を御通行、京都郡新津港に御着、御上陸あり、同地より筑前香椎に至り坐す途次、本郡下田村に御滞陣中、本村妙見宮に御参詣、戦労の御祈願あらせたりと、由つて後所祭神を改め八幡宮を斎祀せり、五社の内仁徳帝を祀りしは理由不分明なれども、只蒼生に御慈愛の深かりし恩徳を慕ひ、特に追祀さられたるものらん、当社の旧縁、記に棟札寫を存せり、其文に據るに、寛文、正徳に神殿を改築し、文政十一年又神殿を改築し、越えて十三年社殿を造営し、文久三年神殿の造営あり、天明八年小笠原備中守より、三菱御紋御免ありたりといふ、御神体は木造三体、御鏡一面なりとぞ、かくて明治六年七月郷社に列す。社殿は本殿、幣殿、拝殿、浮殿、神輿庫あり、境内二千八百七十坪(官有地第一種)を有し、村の中央稍高地にありて、樹木蓊鬱社前の広庭より本殿まで凡四丁、此間四ヶ所に石段ありて、社殿の位置、灯籠、高麗狗等の排置凡て宜きを得、南に大池ありて、更に一段の光景を添へたり、豊前国志に末社五社あるよし記せり。境内神社 貴船神社 海神(ワタツミノ)社例祭日 九月九日会計法適用指定年月日神饌幣帛料供進指定年月日氏子戸数 百四十五戸崇敬者員数 未詳明治神社誌料ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー市指定文化財 入覚念仏楽(にゅうがくねんぶつがく)指定種別 無形民族文化財指定年月日 平成二五年十一月一日入覚地区に伝わる入覚念仏楽は、旧豊前国(福岡県東部と大分県北部)周辺に伝わる楽打ちの一つです。九州では太鼓のことを楽(がく)と呼び、胸に着けた締太鼓(しめだいこ)を打ち鳴らしながら雨乞いや五穀豊穣などを祈願する太鼓踊りを楽打ちと呼びます。入覚念仏楽は毎年五月三日に子どもたちが中心となって行われます。その名のとおり楽打ちの中で念仏を唱え、神社だけでなく寺にも奉納するなど仏教的な要素が強いのが特徴です。言立(いいたて)口上の内容も諸仏にささげるものとなっています。ここ五社八幡神社と寺(安楽寺(あんらくじ)と明見寺(みょうけんじ)の隔年交代)に奉納します。念仏楽の由来は明らかではありませんが、楽打ちに用いる鉦(かね)に寛政三年(一七九一)の銘がある鉦が伝わっており、これも念仏楽に使われていた可能性があります。太平洋戦争の際に中断しましたが、昭和四七年(一九七二)に地元の有志によって再興されました。鉦、太鼓の音と子どもたちの声が春を華麗に彩ります。行橋市教育委員会境内掲示説明板。
名前 |
五社八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.9 |
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通行中に鳥居を見つけて立ち寄りました、階段の途中のご神木?がとても大きく根を張って、この神社の歴史を物語っているようでした。御拝殿はコの字型に作られとても立派です。境内社は四社あるようです。