港南・笹下の丘の上、心和む御朱印。
天照大神の特徴
小高い丘の上にあり、見晴らしの良い神社です。
落ち着いた境内で心が和む、こぢんまりした神社です。
桜の時期には特に訪問者におすすめの場所です。
きれいに整備されている神社でした。書き置きをおわかち頂きました。日付はご自分で、だそうです。車で上まで行けなくも無いですが急な坂、プラス細いのでなかなか難しいとは思います。入りは横から入っちゃいましたが、表から入るとなかなかの階段があり結構きついです。
天照で読みは「てんしょう」となっている。主祭神は大日孁貴命。アマテラスのことだ。創建年代は不明だが1573年より以前なのは確からしい。裏の階段は急で長い。参拝は笹下中学校側から訪れたほうが良いだろう。社殿はそこそこ立派だが、彫刻の類はなく簡素な印象。旧村社としては寂しさがある。扁額が有吉忠一なのが面白い。横浜市長を務めている期間に依頼されたのだろうか。これは想像だが、関東大震災で社殿が倒壊。再建時に依頼された可能性はありそうだ。本人は敬虔なクリスチャンだが、公益?を優先させたのかもしれない。
書き置きの御朱印を頂きました。港南中央からは桜道を登り、南台小学校過ぎて直ぐ左に曲がれば神社正面に着きます。
南港ひまわりトンネルを横切る桜道を北上。左手に南台小学校手前を右折(案内板あり)、高台に鎮座されています。わりとちっちゃな神社ですが、キレイです。御朱印は書き置きでした。
御朱印が頂ける神社。書置のものが頂ける。御朱印は拝殿右手の神職のご自宅で。少し小高い丘の上に鎮座する。ナビでは階段を上がることになるが、車で神社の目の前まで上がってこられるルートがあるようだ。
御朱印が頂ける神社。書置のものが頂ける。御朱印は拝殿右手の神職のご自宅で。少し小高い丘の上に鎮座する。ナビでは階段を上がることになるが、車で神社の目の前まで上がってこられるルートがあるようだ。
2024/5/30年代は不詳ながら、言い伝えでは天正年代(1,573一92年)以前の創建とされる。往古は笹下郷の総社。かつて前を通っただけだったが、今回はじっくり見る。新しい発見も有る。鳥居脇のシイの木の根がすごい事になっている。石段のヘリを覆い尽くしている。一体何年でこうなるのだろう。階段を上がった近くに石碑が見える。「講和記念」「苦節六年講和独立を記念し笹下町鎮守天照大神宮本殿に拝殿神楽殿の屋根葺替及境内地拡張を奉修し以って天下泰平国土安穏五穀豊穣を祈誓すと永く◯昆に伝う昭和二十七年四月十日 (以下略)」ー一体何の講和かと思ったが、年代から”サンフランシスコ講和条約”、正式名称”対日平和条約 Treaty of Peace with Japan”のこと。1,951年9月8日、サンフランシスコで調印され、52年4月28日発効した。このような碑は初めて見る。境内の外れには、沢山のアルミ缶で作ったランタンが下がっている。まず、柔らかいアルミ缶に、よく綺麗に一定の幅で切り込みを入れたものだと感心する。扁額「天照大神宮 有吉 忠一書」”書”とあると、調べたくなる。有吉忠一、日本の内務官僚、第10代横浜市長(大正14年5月〜昭和6年2月/1,925〜1,931年)、関東大震災後の横浜の復興に尽力。昭和5年(1,930年)貴族院議員勅撰。(他詳細は省略)本殿横には大きな石碑が見える。慰霊碑だ。「慰霊碑 横浜市長 平沼亮三書」「戰歿者芳名 関(24名) 雑色(22名) 松本(32名)」ー驚いた。横浜市長 平沼亮三氏の書だ。これまで氏の書は多くの石碑で見ている。(他の横浜市長で同じく多く目にするのは細郷道一氏) この碑の建立年は無いが、当然ながら市長時代(1,951年~1,958年)のもの。
住宅街の中にある港南・笹下地区の鎮守。石段はかなりの長さがあります。境内はさほど広くはありません。
近江源氏佐々木氏の発祥神社である沙沙貴神社の御魂も祀られている神社様です♫鎌倉幕府の御家人佐々木定綱公や北条早雲の家臣間宮信盛公が有名なお武家さんです。また間宮信盛公の居城・笹下城跡の敷地内であり、佐々木城→佐々気城→笹下城に名前が変わっていったとのことです。祖父系の氏神様が祀られています感謝です!
| 名前 |
天照大神 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
045-842-1920 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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初めてお参りにきました。とても歴史のある神社⛩です。綺麗に整備されており、素晴らしい場所です☺️