唯一無二の廃神社、稲脊脛命に会いに行こう!
孫嫡子神社の特徴
廃神社と感じられる独特の雰囲気が漂う場所です。
周辺170箇所をめぐった神社の中で唯一の存在感です。
祭神は稲脊脛命で、神秘的な体験ができます。
차로 갈 수는 있다는데 진입로를 알기가 어렵다.
周辺170箇所ほどの神社をまわりましたが、唯一、廃神社かな?という雰囲気の神社でした。御堂も苔むして、おっことぬし様が居そうな雰囲気。100%マムシが出そうだったのと、雰囲気あり過ぎてとても1人で入っていく勇気が出ず、外から参拝させていただきました。
| 名前 |
孫嫡子神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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祭神は稲脊脛命(いなせはぎのみこと)とある。天照大神より遣わされた天穂日命(あめのほひのみこと)・天津神の父をもち、大国主命の娘である国津神の母をもつ神であった。天津神であり国津神であるという中間的な存在で、国譲りの儀の時に、天津神と国津神との間を取り持ち、貢献した神であるという。❸【参考 香川県神社誌 下巻 昭和13年】孫嫡子神社(昭和13年の書による)[祭神] 稲脊脛命(いなせはぎのみこと)西讃府志に「あい伝ふ、明暦2年の春に痘瘡(とうそう)おおいに流行する。死せるものおおかり。時に村人の佐伯太郎左衛門乗宣(じょうせん)といえる者、男子7人あり。おおいにこれを憂う。一夜の夢に「われは鷺(さぎ)大明神なり、むかし長徳4年6月8日、越前国_南条郡_湯尾峠にあらわれし、孫嫡子の神というも我のことなりと」告げ給う。これによって乗宣(じょうせん)その言葉のままに祠を立て祀り、祭れり」とある。全讃史には「云々~省略~」とある。[祭日] 8月10日[社殿] 本殿[境内地面積] 140坪_______________❶【参考 讃岐の地名とその伝説 1955年】孫嫡子神社(まごちゃくしじんじゃ)(1955年の書による)子7人あり、大いにこれをしんぱいした、一夜の夢に、「われは鷺大明神(さぎだいみょうじん)なり、我をまつらば、此の難、まぬがれるべし、むかし長徳4年6月8日越前国_南条郡_陽尾ノ峠三豊郡五郷村にあり、雲辺寺山のふもとで、この神様は痘病にきくというので、孫嫡子神社という。孫嫡子は孫や子ということであり、子供の神様という意味である、とある。_____________記のインデックスと概要が載っている。井関村孫嫡子社由来は個人所有のものであるようである。❷【参考 香川叢書 第一 昭和14年】井関村孫嫡子社由来 1冊孫嫡子社は三豊郡五郷村大字井関に鎮座。この記は明暦2年(1656年)4月、同村の里正(りせい・役職名)の佐伯太郎左衛門尉乗宣が、子息等の痘病を避けるために越前よりこの神を勧請した顛末を誌したものである、とある。