杉田玄白の墓訪ねて猿寺散策。
栄閑院(猿寺)の特徴
愛宕神社近くの浄土宗寺院で、静かな散策に最適です。
解体新書の著者、杉田玄白のお墓があります。
本堂は本格的な木造建築で、歴史を感じる場所です。
杉田玄白先生のお墓があります。浄土宗の寺院だそうです。ご親切に、杉田玄白先生のお墓の案内板が設置されています。杉田玄白先生のお墓以外に御用のある方は、本堂横の受付にお声かけくださいと書いてありました。墓地の入り口に薬師様がいらして、ご真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」7回唱えるとご利益があるとか。ちょっと面白いです。杉田玄白先生のお墓には、用意していった沈香のお線香を供えました。お墓の横に、カエルの置物がありました。
近くにある天徳寺の塔頭として開山した浄土宗の寺院。墓地は檀家以外入れないが本堂の右後ろにある杉田玄白の墓だけはお参り可能。
〜栄閑院【猿寺】〜江戸時代初期久蓮社俊誉園応によって開山された。近くの天徳寺の塔頭として創建された当寺は「猿寺」と呼ばれている。寛永年間(1624年~1645年)猿まわしの泥棒が当寺の住職によって改心し、猿を残して、諸国行脚の巡礼に旅立った。残された猿は、当寺の飼い猿としてかわいがられた逸話からきている。境内の猿の像はこの逸話を元に建てられたものである。また当寺には、蘭学者杉田玄白の墓や検校の芦野屋麻績一の墓がある。
開山は江戸時代初期と言われている久遠山栄閑院。浄土宗のお寺でご本尊は阿弥陀如来。猿寺と呼ばれているだけあって、本堂手前でリアルなお猿さんが迎え入れてくれました。(◔‿◔)
境内には、猿塚があったり狛猿がいたりと、猿に縁のあることが分かるお寺です。江戸の頃に、猿まわしの泥棒が当寺の住職によって改心し、その猿を残して、諸国行脚の巡礼に旅立ったそうで、残された猿は、当寺の飼い猿としてかわいがられたという逸話があります。そのため、猿寺と称してるそうです。また、奥には、蘭学者杉田玄白の墓所があり、丁寧な案内図が墓地の入口に貼ってあります。とても分かりやすく有り難いです。
境内には、猿塚があったり狛猿がいたりと、猿に縁のあることが分かるお寺です。江戸の頃に、猿まわしの泥棒が当寺の住職によって改心し、その猿を残して、諸国行脚の巡礼に旅立ったそうで、残された猿は、当寺の飼い猿としてかわいがられたという逸話があります。そのため、猿寺と称してるそうです。また、奥には、蘭学者杉田玄白の墓所があり、丁寧な案内図が墓地の入口に貼ってあります。とても分かりやすく有り難いです。
3年半ぶりに愛宕神社にお詣りをと思ったが、出世の石段は登らずにと思い裏の参道を探していた。橙色の小洒落た塀が目に入り境内足を踏み入れた。タヘールアナトミアの杉田玄白のお墓に巡り合うことができたのは望外のことである。清掃の行き届いたお寺でした。
東京メトロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅A2出口より徒歩3分程度の距離にある浄土宗寺院である。この寺院より南にある浄土宗寺院天徳寺の塔頭の一つでターヘル・アナトミアの和訳やその和訳をメインとした西洋医学書『解体新書』の著者である杉田玄白の墓石がある事で知られている寺院である。あまり広いとは言えない小規模な寺院ではあるが静かで良いお寺である。猿寺の由来は猿まわしの泥棒が当時の住職により改心し諸国行脚へ旅立ち、残った猿がこちらの寺院で飼われ可愛がられた事からの様である。
別名である猿寺の名が付いた話が面白い。それにしても猿回しの男は無責任である。絵葉書の購入とパンフレットを貰おうと思ったのだが、入れ違いになったようだ。落ち着きと賑やかさを感じる境内だった。
| 名前 |
栄閑院(猿寺) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3431-7815 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~17:00 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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港区虎ノ門。江戸時代初期創建。本尊は阿弥陀如来。元は天徳寺の塔頭でした。このお寺は猿寺と呼ばれているのですが、これは寛永の時代に猿回しに扮した泥棒がここの住職によって改心し、巡礼に行ったのですが、その時に残された猿はこのお寺で飼われて可愛がられたという逸話に因んでいます。このお寺は江戸時代の医学者・杉田玄白の墓があることで知られています。杉田玄白は訳書『解体新書』を著したことで有名ですが、小浜藩医を務め、医学塾を開いて後進を育成した人でもあります。大都会の真ん中にあるお寺の中に、日本の医学史に残る偉人がひっそりと眠っています。私も静かに手を合わせました。