真田幸村のお墓で歴史を感じる。
心眼寺の特徴
大阪市天王寺区に位置する浄土宗の寺院で、真田幸村のお墓があるお寺です。
かつて真田丸があった場所に建てられ、歴史が色濃く残るスポットです。
玉造駅から徒歩約10分で、周辺に真田丸跡や関連史跡が豊富にあります。
2024年11月13日にお詣りをした。小橋寺町通から階段を十段と少し上がると心眼寺の山門がある。大阪明星学園の向かいであり、学園の土地はかつて真田丸であり、敷地内に真田丸跡という碑をカトリックの学校が作っている。数段登ると右側に真田幸村出丸城跡の石碑がある。南無阿弥陀仏の石柱と仁王様の像もある。そうだった。心眼寺は浄土宗の寺院であり御本尊は阿弥陀如来だ。南無阿弥陀仏の石柱の下には贈ったした人々の名前が彫られている。〇◇屋という姓の下に名前がある。例えば、吹田屋・大阪屋・高砂屋・播磨屋・和泉屋・伊勢屋・餅屋などなど。読み難いので全てでは全く無いことを断る。商人たち、それも豊かな商人であろう。
この界隈は巡っていて楽しい🎶ここも真田に縁があります。ご朱印は書置きですが住職が対応して下さりました。
大阪市天王寺区餌差町にある真言宗のお寺。心眼坂の名前の由来。大阪四十八願阿弥陀如来第十一番札所。大阪冬の陣で真田幸村が築いた真田丸があった場所がこの辺りだと推測されています。そのため境内には真田幸村のお墓と真田丸の出丸(城から馬を出す所)跡の石碑があります。他にも真田家の六文銭が描かれた山門やのぼりなどがあり歴史好きには大興奮のお寺です。まんなおし地蔵尊堂には大河ドラマ真田丸のポスターも貼られています。他にも幕末の京都で新選組と共に活躍した見廻組の隊士の墓もあり真田幸村のお墓と共にこちらにも手を合わせて来ました。早朝で御都合が悪く御朱印は頂けませんでしたがそれでも大変良いお寺でした。
心眼寺は浄土宗のお寺で、山号は真田山。安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596年)に白牟(はくむ)和尚によって創建。冬の陣のあと取り壊されましたが、1622年大阪冬の陣の陣地跡(真田丸)に、真田幸村とその子大助の供養の為に再建されました。当時幕府から許されなかった幸村の墓は、真田幸村400回忌の2014(平成26)年に境内に建てられました。またお寺の定紋は真田家の六文銭(死者が三途の川を渡るときの用意にと、 お棺に納 める六道銭から転化したもので、 戦いにのぞむ武士の必死の覚悟を 表しています。)と定められています。本尊は阿弥陀仏座像。大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第11番札所にもなっています。まんなおし地蔵尊など、何体かお地蔵さんにも出会うことができました。
真田幸村(信繁)公のお墓のあるお寺。真田丸のポスターがあったり、真田の六文銭があちこちにあったりと、真田好きは一度は訪れておきたい場所。暑い時期であれば、まんなおし地蔵尊が安置されている小屋の中にベンチがあるので、一休みするのも悪くない。JR玉造駅から徒歩10分少々で到着できるだろう。
真田幸村(信繁)公のお墓のあるお寺。真田丸のポスターがあったり、真田の六文銭があちこちにあったりと、真田好きは一度は訪れておきたい場所。暑い時期であれば、まんなおし地蔵尊が安置されている小屋の中にベンチがあるので、一休みするのも悪くない。JR玉造駅から徒歩10分少々で到着できるだろう。
心眼寺はかつて真田丸(真田幸村出丸城)があったとされる場所に建てられた寺です。1622年(元和8年)4月、真田幸村とその子・大助の供養のために、真田家の祖先である滋野氏の一族ともいわれる白牟(はくむ)和尚によって創建されました。寺の定紋は真田家の六文銭、山号は「真田山」とあるように、真田家にゆかりのある寺です。当時、大坂は江戸幕府の直轄地であったため、幸村の墓をつくることは許されませんでしたが、「大坂冬の陣」から400年目(=信繁四百回忌)にあたる2014年(平成26年)に墓碑が建立されました。
真田幸村とその子大助の冥福を祈る為江戸時代に再建された寺院、京都見廻組の桂早之助、渡邉吉太郎のお墓が有ります。
玉造駅から三光神社を出、しばらく歩くと心眼寺に辿り着きます。ここも真田丸出城跡なのです。真田丸は三日月型をした形から偃月城とも呼ばれていたそうで、元は「笹山」と呼ばれる小丘陵だった事が書かれています。墓所もあり、手を合わせました。御朱印は書置きでしたが頂けました。寺の建物にも六連銭の模様が見え、心が浮き立つとともに引き締まる思いがしました。京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎の墓所もありました。大阪48願阿弥陀巡礼の第11番でもあります。
| 名前 |
心眼寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
06-6764-0630 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:00~17:00 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22にある真田幸村を祀るお寺です。元和8年(1622年)海野氏の発願により、大坂夏の陣で戦死した真田幸村とその子大助の冥福を祈るため、白牟和尚が真田丸跡に創建した寺。山門には真田家の六文銭が寺紋として記され、門前には「真田幸村出丸城跡」の碑が立つ。大坂冬の陣で幸村が築いた「真田丸」の跡地とされる。境内には真田幸村の400回忌に当たり建立された墓碑もある。心眼寺の道の正面には、真田丸顕彰碑の石碑があります。アクセスは、玉造駅出口2から徒歩約5分玉造駅北出口1から徒歩約8分鶴橋駅出口1から徒歩約11分。