歴史を感じる真田丸の地で。
心眼寺の特徴
大阪市天王寺区に位置する浄土宗の寺院で、真田幸村のお墓があるお寺です。
かつて真田丸があった場所に建てられ、歴史が色濃く残るスポットです。
玉造駅から徒歩約10分で、周辺に真田丸跡や関連史跡が豊富にあります。
心眼寺は浄土宗のお寺で、山号は真田山。安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596年)に白牟(はくむ)和尚によって創建。冬の陣のあと取り壊されましたが、1622年大阪冬の陣の陣地跡(真田丸)に、真田幸村とその子大助の供養の為に再建されました。当時幕府から許されなかった幸村の墓は、真田幸村400回忌の2014(平成26)年に境内に建てられました。またお寺の定紋は真田家の六文銭(死者が三途の川を渡るときの用意にと、 お棺に納 める六道銭から転化したもので、 戦いにのぞむ武士の必死の覚悟を 表しています。)と定められています。本尊は阿弥陀仏座像。大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第11番札所にもなっています。まんなおし地蔵尊など、何体かお地蔵さんにも出会うことができました。
真田幸村(信繁)公のお墓のあるお寺。真田丸のポスターがあったり、真田の六文銭があちこちにあったりと、真田好きは一度は訪れておきたい場所。暑い時期であれば、まんなおし地蔵尊が安置されている小屋の中にベンチがあるので、一休みするのも悪くない。JR玉造駅から徒歩10分少々で到着できるだろう。
心眼寺はかつて真田丸(真田幸村出丸城)があったとされる場所に建てられた寺です。1622年(元和8年)4月、真田幸村とその子・大助の供養のために、真田家の祖先である滋野氏の一族ともいわれる白牟(はくむ)和尚によって創建されました。寺の定紋は真田家の六文銭、山号は「真田山」とあるように、真田家にゆかりのある寺です。当時、大坂は江戸幕府の直轄地であったため、幸村の墓をつくることは許されませんでしたが、「大坂冬の陣」から400年目(=信繁四百回忌)にあたる2014年(平成26年)に墓碑が建立されました。
真田幸村とその子大助の冥福を祈る為江戸時代に再建された寺院、京都見廻組の桂早之助、渡邉吉太郎のお墓が有ります。
玉造駅から三光神社を出、しばらく歩くと心眼寺に辿り着きます。ここも真田丸出城跡なのです。真田丸は三日月型をした形から偃月城とも呼ばれていたそうで、元は「笹山」と呼ばれる小丘陵だった事が書かれています。墓所もあり、手を合わせました。御朱印は書置きでしたが頂けました。寺の建物にも六連銭の模様が見え、心が浮き立つとともに引き締まる思いがしました。京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎の墓所もありました。大阪48願阿弥陀巡礼の第11番でもあります。
心眼寺さんの庭を設計施工しました。
門に真田幸村出丸城跡とありましたので、入口だけ撮影しました。時間がある時にまた訪問したいですね。
歴史好きにはたまりません。
口コミで事前に知ってはいましたが、社務所は留守がちであり、お伺いした時も不在でした。天王寺区のお寺は境内に墓地を持っている所が多いのですが、こちらはお墓のイメージが強く感じられました。
名前 |
心眼寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6764-0630 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

大阪市天王寺区餌差町にある真言宗のお寺。心眼坂の名前の由来。大阪四十八願阿弥陀如来第十一番札所。大阪冬の陣で真田幸村が築いた真田丸があった場所がこの辺りだと推測されています。そのため境内には真田幸村のお墓と真田丸の出丸(城から馬を出す所)跡の石碑があります。他にも真田家の六文銭が描かれた山門やのぼりなどがあり歴史好きには大興奮のお寺です。まんなおし地蔵尊堂には大河ドラマ真田丸のポスターも貼られています。他にも幕末の京都で新選組と共に活躍した見廻組の隊士の墓もあり真田幸村のお墓と共にこちらにも手を合わせて来ました。早朝で御都合が悪く御朱印は頂けませんでしたがそれでも大変良いお寺でした。